次の文章を読んで、下記の設問に答えよ。
1333(元弘3)年、後醍醐天皇は鎌倉幕府を倒して一身に権力を集中し、「天下一統」を実現した。平安時代以来、貴族社会では、「先例」に従うことが正しい政治のありかただとする考えが支配的であった。天皇は、「今の先例も昔は新儀だった。私の行う新犠は未来には先例となるだろう」(『梅松論』)という言葉に示されるような意気ごみで、つぎつぎに目新しい政治改革を打ち出した。
この急進的な改革に対しては、領地の所有に不安を抱いた武士だけでなく、貴族のなかからも批判があった。政権の中枢にいた北畠親房は、「一統の世」の実現をふり返って、「今こそ積年の弊を一掃する好機だったのに、それどころか、本所の領地でさえもことごとく勲功のあった者に与えられ、由緒ある家がほとんど名ばかりになってしまった例もある。こうして勲功を鼻にかけた者たちが天皇の政治を堕落させた結果、皇威もますます軽くなるかと見えた」(『神皇正統記』)と記している。
設問
A 後醍醐天皇がこの政治改革でめざしたものは何か。3行以内で述べよ。
B 北畠親房は、天皇の政治に対して、どのような立場からどのような批判をもっていたか。3行以内で述ベよ。
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野澤の解答例と解説
2011.4.26