東大チャート 1993年度 『東京大学 第2問』

ー 蒙古襲来と高麗 ー
  

 13世紀におけるモンゴルの対日本戦争に対して、下記の設問に答えよ。

設問

A 二度の合戦(1274年文永の役、1281年弘安の役)における日本軍の戦いかたには、モンゴル軍とくらべてどのような特徴があったか。日本の武家社会の特質と関連させて、下の語句をすべて使い、3行以内で述べよ。語句はどんな順で使ってもよい。

   恩賞、武士団、集団戦、一騎討ち


B 朝鮮半島の国高麗の政府や人民は、この戦争でどのような役割を果たし、モンゴルの対日本戦略にどのような影響を与えたか。下の文章を参考にして、4行以内で述べよ。

(1) 1266年、モンゴル皇帝フビライの外交使節が、日本へ渡るべく高麗に来た。高麗の宰相は使節にはたらきかけ、対馬を目前にひきかえすよう工作した。

(2) 1270年、高麗の軍隊三別抄が、モンゴルに屈伏した王室に対して反乱を起こし、海中の島をねじろにモンゴル軍・高麗軍に抵抗し、1273年に鎮圧された。

(3) 1274年と1279年の2度にわたって、高麗はフビライから日本征討用の軍船900艘の建造を命ぜられ、人民に大きな負担を強いつつ、期日までに完成させた。

(4) 文永の役には約6000人、弘安の役には約1万人の高麗軍(非戦闘員を除く)が、フビライの命をうけて従軍した。


Aについて

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Bについて
         
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2013.1.6

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