2007年度 『東京大学 その3』

【3】次の(1)〜(4)の文章を読んで、下記の設問に答えなさい。
(1) 平賀源内は、各地の薬草や鉱物を一堂に展示する物産会を催し、展示品360種の解説を集めた『物類品隲』を1763年に刊行した。
(2) 杉田玄白・前野良沢らは、西洋解剖書の原書を直接理解する必要性を感じ、医学・語学の知識を動員して、蘭書『ターヘル・アナトミア』の翻訳をすすめた。そして1774年にその成果を『解体新書』として刊行した。
(3) ドイツ人ヒュプネル(ヒュブネル)の世界地理書をオランダ語訳した『ゼオガラヒー』は、18世紀に日本にもたらされ、朽木昌綱の『泰西輿地図説』(1789年刊)など、世界地理に関する著作の主要材料として利用された。
(4) 本居宣長は、日本古来の姿を明らかにしたいと考え、『古事記』の読解に取り組んだ。古語の用例を集めて文章の意味を推定する作業をくり返しつつ、30年以上の年月をかけて注釈書『古事記伝』を1789年に完成させた。

設問
18世紀後半に学問はどのような発展をとげたか。研究の方法に共通する特徴にふれながら、5行(150字)以内で述べなさい。

<考え方>
 資料を一見して普通だったらおそらく最初に感じるのは、
資料(3)=「え〜、初めて見た!!知らんぞこんなん。」(方言ですみません。) 
資料(4)=「(1)〜(3)がすべて洋学(蘭学)なのになぜ本居宣長?」
 ではないか。
 もっとも資料(3)に関しては、東大(あるいは京大・阪大クラス)を受けようというものはビビらないであろう。なぜなら東大(をはじめとする帝大)の論述は、早稲田の悪問のような重箱隅ネタの知識を問う問題ではないことを承知だからである。

(ぼくのHPが早大の問題に強いというお便りをくれたN君たちには悪いけど、やはり早稲田は悪問ですよ。コラム『ロバを鍛えてダービーに出す-進路指導のスローガン-』 参照

 資料(1)〜(3)はすべて洋学に思えるが、よく見ると(1)は平賀源内が文頭に来ているので洋学と思っただけで、内容は「薬草や鉱物」の研究であるから元禄時代から発展した本草学である。「本草とは、薬のもとになる草を意味する。本草学は本来、植物・動物・鉱物の薬用効果について研究する学問であったが、しだいに博物学的性格を強めた。」(山川『詳説日本史』P194)
 しかし、それだけなら何も平賀源内が登場する必要もない。平賀源内と言えばやはり、エレキテル・寒暖計などの物理学とともに、秋田の鉱山開発に携わるなど、その知識を実地=殖産興業政策に生かした人であった。また、源内のスポンサーが田沼意次であったと言われていることからも、殖産興業と結び付けたい。

 それでも資料(4)が少し浮いているように思える。ぼくはこの(4)こそが、出題者の意図を読み解く鍵ではないかと考える。ポイントは「日本古来の姿を明らかにしたいと考え、『古事記』の読解に取り組んだ。古語の用例を集めて文章の意味を推定する作業をくり返しつつ、30年以上の年月をかけて」であろう。

 東大の問題に使われる資料で無駄になるものはない


 これをもとに(1)〜(3)の資料からキーワードを導きたい。
(1)平賀源内は、各地の薬草や鉱物一堂に展示する物産会を催し、展示品360種の解説を集めた『物類品隲』を1763年に刊行した。
(2)杉田玄白・前野良沢らは、
西洋解剖書の原書を直接理解する必要性を感じ、医学・語学の知識を動員して、蘭書『ターヘル・アナトミア』の翻訳をすすめた。そして1774年にその成果を『解体新書』として刊行した。
(3)ドイツ人ヒュプネル(ヒュブネル)の世界地理書を
オランダ語訳した『ゼオガラヒー』は、18世紀に日本にもたらされ、朽木昌綱の『泰西輿地図説』(1789年刊)など、世界地理に関する著作の主要材料として利用された。

 つまり
1.すべてに共通しているのは、「18世紀後半に発展した学問は、すべて資料を収集し、原典を検証するなど証拠に基づく実証的なものであった」こと。
2.資料(1)から、「本草学は博物学的性格を強め、幕府や藩の殖産興業策と結び付いて発展した。」こと
3.資料(2)、(3)から、「医学や地理学など西洋の科学知識や研究が、オランダ語を介して導入され、実学として発展した」こと(教科書にも「洋学研究は、(略)その後は医学・兵学・地理学など実学としての性格を強めた。」(山川『詳説日本史』P218)の記述がある。)
4.資料(4)から、「古典を実証的に研究して、日本古代の姿を明らかにする国学が発展した」こと

 これらを150字以内にまとめる。

<野澤の解答例>

18世紀後半に発展した学問は、全て資料を収集し原典を検証するなど、証拠に基づく実証的なものであった。本草学は博物学的性格を強めて殖産興業策と結び付き、オランダ語で導入された西洋の医学や地理学などの科学が、実学として発展した。日本古代の姿を明らかにしようとする国学も、古典の緻密な考証によって大成された。(150字)

2007.6.30

参考:駿台予備校の模範解答
江戸初期以来の朱子学の実証的・合理的研究の蓄積は、18世紀後半の諸学問発展の前提となった。薬草研究などを本草学として発展させ、また、医学・地理学など西洋知識を受容して洋学を興隆させる素地となった。一方、契沖らの実証的古典研究を前提に、本居宣長は儒仏など外来思想を排して民族精神を究明する国学を大成した。(150字)

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