Ⅰ 次の文章を読んで下記の問いに答えなさい。(問1から問3まですべてで400字以内)
近世は、身分制を骨格として成り立っている社会である。近世の身分制は、中世から近世に移行する過程で、徐々に形成されていった。豊臣秀吉は、1591(天正19)年に出した [ ] などによって、諸身分の確定を進めた。
近世においては、政治と軍事を担う武士、村に住む百姓、(1)都市に住む町人などが中心的な身分となった。近世の人々は、人一般としてではなく、特定の身分に属する者として、社会的に存在していたのである。
このうち、(2)百姓は農民と重なる部分が多いが、近世の百姓と農民は完全に同義ではなかった。
問1[ ]に入る語を記し、その内容を説明しなさい。
問2 下線部(1)に関して、町人は、どのような要件を満たせば町人身分として認められたか。町人身分の決定要件を2つあげて説明しなさい。
問3 下線部(2)に関して、百姓と農民の重ならない点(不一致点)を2つあげて、百姓と農民の関係について説明しなさい。
<考え方>
問1 空欄は補充できる。身分統制令、もしくは人掃令である。(山川の教科書では「人掃令」であり、一橋大の問題は、山川の『詳説 日本史』に書いてある内容で解く、というこのページの原則からいうと人掃令と答えるべきなのだが、実教も三省堂も東京書籍も、1591年令は、身分統制令と書いている。この件については発展 『身分統制令と人掃令』で述べているとおりであり、ここは身分統制令にしたい。
内容については、原則通り、『詳説 日本史』から。P.154に「武家奉公人が町人・百姓になることや、百姓が商人・職人になることなどを禁じた。」史料集などの内容を用いれば、「各町村に調査を命じ、もしそのような者を隠し置いた場合には、町村全体を処罰するとした。」などの内容が加わるが、ここは教科書記述の範囲で解答例を作成したい。
問2 要求されているのは、
(1) 近世において都市に住む町人について
(2) 町人身分として認められる要件を書く
(3) 2つ書く
ことである。
教科書(山川『詳説 日本史』)のP.168~170から関係する内容を抜き出してみる。
ア 町人地は町方とよばれ、商人・手工業者が居住し営業をおこなう場であり、町という小社会(共同体)が多数存在した。
イ 町内に町屋敷を持つ家持の住人は町人とよばれた。町は町人の代表である名主・町年寄・月行事などを中心に町法にもとづいて運営された。
ウ 町には田・畑がなく、町人は百姓にくらべて重い年貢負担をまぬがれたが、上下水道の整備、城郭や堀の清掃、防水・防災など都市機能を維持する役割を、夫役である町人人足や貨幣を支払うことでなされた。
エ (被支配身分は)商業を営む商人を中心とする都市の家持町人(の三つがおもなものとされた。)
これをまとめると、「一つは、町内に町屋敷を持つ家持であること。もう一つは、上下水道の整備、城郭や堀の清掃、防水・防災など都市機能を維持する役割を、夫役である町人人足や貨幣を支払うこと。」
となる。
問3 要求されているのは
(1) 近世における百姓と農民の関係について書く
(2) 百姓と農民の不一致点を2つあげて書く
ことである。
教科書のP.166~170から関係する内容を抜き出す。
ア 村は、百姓の家屋敷から構成される集落を中心に、田畑の耕地や野・山・浜をふくむ広い領域を持つ小社会(共同体)であるイ 検地帳に登録されて高請地となった田・畑・家屋敷を持ち、年貢・諸役をつとめ、村政に参加する本百姓が村を構成した。
ウ 村内には、田・畑を持たず、地主のもとで小作を営んだり、日用仕事に従事する水呑や、有力な本百姓と主従制のような隷属関係にある名子・被官・譜代なども存在した。
エ (被支配身分としては)農業を中心に林業・漁業に従事する百姓
これらをまとめると、不一致点は「一つは、村に住んでいても検地帳に登録されて高請地となった田・畑・家屋敷を持ち、年貢・諸役をつとめ、村政に参加する農民である本百姓が本来の百姓であり、田・畑を持たず、地主のもとで小作を営んだり、日用仕事に従事する水呑や、有力な本百姓と主従制のような隷属関係にある名子・被官・譜代などは農民であっても正式な百姓とは認められていなかった。二つめは、百姓は農民だけではなく、林業・漁業に従事する者も百姓であった。」となる。
以上を、全部で400字でまとめればよいのだが、これでは
1身分統制令。武家奉公人が町人・百姓になることや、百姓が商人・職人になることなどを禁じた。2一つは、町内に町屋敷を持つ家持であること。二つめは、上下水道の整備、城郭や堀の清掃、防水・防災など都市機能を維持する役割を、夫役である町人人足や貨幣を支払うこと。3一つは、検地帳に登録されて高請地となった田・畑・家屋敷を持ち、年貢・諸役をつとめ、村政に参加する農民である本百姓が本来の百姓であり、村に住んでいても田・畑を持たず、地主のもとで小作を営んだり、日用仕事に従事する水呑や、有力な本百姓と主従制のような隷属関係にある名子・被官などは農民ではあっても正式な百姓とは認められていなかった。二つめは、百姓は農民だけではなく、林業・漁業に従事する者も百姓であった。(328字)
となり、400字に大きく足りない。そこで、問3が百姓と農民の違いを具体的に書いていることにならって、教科書P.169~170にある町に住んでいながら町人でないものの記述を加えることにした。
町には、宅地を借りて家屋を建てる地借、家屋ごとや多くはその一部分を借りて住む借家・店借、また商家の奉公人など多様な階層が居住した。地借や店借は、地主の町人に地代や店賃を支払うほかに負担はないが、彼らは町の運営に参加できなかった。
以上を400字でまとめた。
<野澤の解答例>
1身分統制令。武家奉公人が町人・百姓になることや、百姓が商人・職人になることなどを禁じた。2一つは、町内に町屋敷を持つ家持であること。二つめは、上下水道の整備、城郭や堀の清掃、防水・防災など都市機能を維持する役割を、夫役である町人人足や貨幣を支払うことであった。彼らは町政に参加できたが、商家の奉公人や地借、店借など地主の町人に地代や店賃を支払う者は、町に居住していても町人とは認められなかった。3一つは、検地帳に登録されて高請地となった田・畑・家屋敷を持ち、年貢・諸役をつとめ、村政に参加する農民である本百姓が本来の百姓であり、村に住んでいても田・畑を持たず、地主のもとで小作を営んだり、日用仕事に従事する水呑や、有力な本百姓と主従制のような隷属関係にある名子・被官などは農民ではあっても正式な百姓とは認められていなかった。二つめは、百姓は農民だけではなく、林業・漁業に従事する者も百姓であった。(399字)
2013.3.19
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