2011年度 『大阪大学 その2』

戦国大名の領国経営


【U】戦国大名は領国経営のため、さまざまな政策を打ち出していった。そのうち、家臣団の編成・統制、および土地支配に関わる政策について、具体的に述べなさい。(200字程度)

<考え方>
 問われていることが何であるかは、はっきりしている。

(1)戦国大名の領国経営の政策について書く
(2)家臣団の編成・統制について書く
(3)土地支配について書く
(4)具体的に書く


である。
ぼくはHPの通史編(室町時代編9「戦国時代/都市の発達」)で

(2)に「自己申告制の検地である指出(検地)は絶対」
(3)に「軍事基盤を問われたら、まず答は寄親・寄子制だと思って良い。「地侍の家臣団編入に成功」「有力家臣に新参衆を預ける形」などの言葉がついてくる。家臣は貫高制によって、軍役を負担した。」
(6)に分国法(略)
 史料からの出題に対応出来れば、OKと言える。
喧嘩口論・・・双方成敗に及ぶべし」→喧嘩両成敗による私闘の禁止
駿・遠両国の輩、或はわたくしとして他国より嫁をとり・・・」→私信・私婚の禁止→家臣の婚姻の規制(『今川仮名目録』)
朝倉が館之外、国内□城郭を構へさせまじく候・・・一乗谷へ引越・・・」→家臣の城下町集住政策(『朝倉孝景条々』)
国中の地頭人、・・・恣に罪科の跡と称し、私に没収せしむるの条・・・。若し犯科人晴信の被官たらば・・・」→闕所(けっしょ)の許可制(『甲州法度之次第』←武田晴信=武田信玄)

と記したが、これらをまとめれば答えは書ける。つまり、

 家臣団の編成・統制は、@軍事基盤としての寄親・寄子制、A喧嘩両成敗による家臣の私闘による紛争解決の禁止、B私信・私婚の禁止による家臣の婚姻の規制、C城下町集住政策など
 土地支配は、@指出検地と貫高制による土地と生産力の把握とそれに応じた軍役負担、A闕所の許可制から見られる領国の一円支配などである。
(戦国大名が自らを領国支配の最高権力者と位置付けていたことは、発展 『どう違うんですか?守護と守護大名と戦国大名 その2』ー東大入試問題に学ぶ 5ー (1988年第2問)を参照)

 それでは、関係する箇所を実教の「日本史BP.158〜160から抜き出してみる。

 大名を中心にして家臣団の編成がすすみ、以前は独立的であった国人たちの一揆も大名に臣従するようになった。有力な家臣を寄親とし、多くの寄子を配した寄親・寄子制度が、戦国大名の軍事力を形づくった。彼らはまた領国内の土地を、多くは指出方式による検地によって貫高で掌握し、これを土豪たちに給地として与え、彼らを給人に組織するようになった。(P.158.L10〜L15)
 多くの戦国大名は、家臣団の統制と農民支配のために、家法・壁書などといわれた分国法を制定した。これらは家臣どうしが勝手に兵を動かす私合戦をきびしく禁止し、喧嘩両成敗を適用して領内の平和を確保するとともに、所領の相続・売買や婚姻などを規制したり、農民の逃散を禁じたりしている。(P.159.L3〜L7)
 領国内の土地の面積を年貢の貢納高(貫高)で統一的に表示し、これを基準に年貢・軍役が割り当てられ、知行高が表示された。荘園制の複雑な土地制度は貫高制に組みこまれ、大名の統一的な国内政治が推進された。(P158の脚注)
 戦国大名の居城も従来の山城から、交通の便利な平野部へ進出する気配を示し、その周辺に商工業者が集まって北条氏の小田原、朝倉氏の一乗谷、上杉氏の春日山など各地で城下町の形成をみた。大名もここに家臣を移住させたり、楽市・楽座の制と実施して自由な商取引を保障し、領国経済の積極的な振興策をとった。(P.159.L12〜P160.L3)

 これを200字程度でまとめる。

<野澤の解答例>
 戦国大名は、有力な家臣を寄親とし、臣従した国人たちを寄子に配した寄親・寄子制度で軍事力を形づくった。分国法を制定して家臣の私合戦を厳しく禁止し、喧嘩両成敗を適用して領内の平和を確保するとともに、所領の相続・売買や婚姻などを規制したり、城下町へ移住させたりした。また領国内の土地を、指出検地によって貫高で掌握し、これを基準に年貢・軍役を割り当て、統一的な国内政治を推進した。(206字)

2011.2.26


 
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