2010年度 『大阪大学 その3』


【V】18世紀後半以降、欧米列強が日本に接近をはかるようになる。ロシアの南下もその1つであるが、寛政期から異国船打払令発布(1825年)までの時期におけるロシアの日本接近と、それに対する幕府の政策について述べなさい。(200字程度)

<考え方>
 これは!ノートのP.90がどんぴしゃあたり!このHPでは「近世編9 鎖国の崩壊過程」です。
 ただし、実教の教科書でもP.223〜225はまさにこの項目そのままである。

(1)寛政期にはいると、ラックスマンが根室に来航し、漂流民大黒屋光太夫らを送還するとともに通商を求めたが、幕府は鎖国を祖法として拒否した。
(2)海防の必要を痛感した幕府は、江戸湾防備を強化するとともに、近藤重蔵らに蝦夷地を調査させた。
(3)幕府は北方防備のため東蝦夷地を直轄した。
(4)文化元年、レザノフが長崎に入港して通商を求めたが、幕府はこれも拒否した。
(5)これをきっかけに日露両国の関係が悪化した。
(6)幕府は全蝦夷地を直轄にして、松前奉行に支配させた。
(7)間宮林蔵に樺太を探検させた。
(8)ゴローニン事件の解決をきっかけに日露関係が安定したので、蝦夷地を松前藩に還付した。
(9)このころ幕府は食料や薪水を求める外国船には、それらを給与してたちのかせるという方針をとっていたが、1825年に異国船打払令を出して、外国船は事情のいかんを問わず打ち払うように命じた。

 これらを200字程度でまとめたい。

 
<野澤の解答例>
 ラックスマンが根室に来航し、漂流民を送還し通商を求めてきた。幕府はこれを拒否し、江戸湾防備を強化した。その後、レザノフが長崎に入港して通商を求めた際もやはり拒否した。これをきっかけに日露関係が悪化すると、幕府は防備のため全蝦夷地を直轄にした。その一方で近藤重蔵や間宮林蔵らに蝦夷地を調査させた。ゴローニン事件の解決によって関係が安定すると、蝦夷地は松前藩に還付された。しかし異国船打払令ではロシア船も打払いの対象であった。(211字)

2010.3.6

参考:駿台予備校の模範解答
南下を進めるロシアは、寛政期にはラックスマンを日本人漂流民とともに根室に派遣、文化期にはレザノフを長崎に派遣し、幕府に通商を要求した。幕府はロシアの要求を拒否する一方、蝦夷地や江戸湾の防備を強化するとともに、蝦夷地を直轄とし、近藤重蔵や間宮林蔵らを千島列島や樺太などに派遣して探査させた。ゴローニン事件の解決をきっかけに日露関係が安定すると、幕府は文政期に蝦夷地を松前藩に還付したものの、警戒態勢は緩めず、異国船打払令の対象とした。(217字)

 
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