2007年度 『大阪大学 その2』


【U】後三条天皇・白河天皇の政治について、院政段階も含め、その歴史的意義に留意しながら具体的に述べなさい。(200字程度)

<考え方>
 
【1】の「神道と仏教の関係」では、教科書の内容を抜き出して、200字程度でつなぐというまとめ方をした。
 今回はより実際の入試に合わせて、センターレベルの知識、つまり整理された教科書の内容で書いてみる。
 項目はぼくの通史編の「平安時代編6 院政と平氏政権/平安末期の文化」から抜き出す形で作成した。

1.後三条天皇で思い出せること。
(1)摂関家を外戚としない。
(2)大江匡房ら受領層から人材を登用した。 
(3)延久の荘園整理令を出した。
@
宇治殿(藤原頼通)の抵抗はあったが、石清水八幡宮でさえ、3分の1以上が没収されるなど、大きな効果をあげた。
A
この徹底した荘園整理によって荘園と公領とが明確となり、12世紀の鳥羽院政期に荘園公領制が確立することになる。
(4)延久の宣旨枡

2.白河上皇で思い出せること。
(1)堀河天皇に譲位し、院政を開始した。
(2)
院政期で白河院政が最も長い
(3)院政は当初、自分の子孫に皇位を継承させることを目的としてはじめられたが、天皇家の家長として絶大な権力を持ち、専制的な政治を行い「治天の君」とよばれた。
(4)「天下三不如意」
(5)
受領層が、院近臣を形成して政治的発言力を持つようになった。院庁が出す命令=院庁下文、上皇の命令=院宣。
(6)院の警備のために北面の武士設置
(7)仏教信仰=出家して
法皇となり、法勝寺六勝寺の一つ)を造営。浄土と見立てた熊野詣高野詣を繰り返した。
(8)院政の経済基盤は知行国(院分国)と多数の寄進地系荘園
(9)南都北嶺
の強訴

 これらをもとに、歴史的意義に留意しながら具体的に書けと言われているので、
(1)後三条も白河も、天皇家による親政を図り、自分の直系子孫に皇位を継承させた。その結果、天皇との外戚関係に基づく摂関政治が終了した。
(2)摂関家の荘園も含めて、積極的に荘園整理を行い大きな成果を上げたが、一方で荘園公領制の確立を招いた。
(3)富裕な受領層から人材を登用した。彼らは院近臣を形成し、政治的発言力を持つようになった。
(4)上皇は天皇家の家長として法や慣習にとらわれず専制的な政治を行い、「治天の君」と呼ばれた。
(5)院政期から中世社会がはじまったとされている。
 
 これらを200字程度でまとめる。

 
<野澤の解答例> 
摂関家を外戚としない後三条天皇は親政を行い、延久の荘園整理令を出した。この政策は摂関家にも及び、かなりの成果を収める一方で、荘園公領制の確立を促すこととなった。次の白河天皇は直系子孫に皇位を継承させる目的で譲位し、院政を開始した。上皇は天皇家の家長として専制的な政治を行い、富裕な受領層が院近臣を形成して政治的発言力を得た。これにより、天皇との外戚関係に基づく摂関政治は終了し、実力で社会を動かす中世が始まった。(206字)

2007.8.26

参考:駿台予備校の模範解答
摂関家を外戚としない後三条天皇は天皇親政を進め、延久の荘園整理令を発し、摂関家も含めて券契不分明な荘園の整理を徹底した。次の白河天皇も親政を受け継いだが、まもなく直系子孫に皇位を継承させる目的で譲位し、その後も治天の君として政治を主導する院政を始めた。これによって、摂関家が天皇と外戚関係を背景に皇位継承権を掌握して政治に大きな発言力を持つ摂関政治が終わり、天皇家が皇位継承権を掌握して政治を主導する体制が成立した。(209字)

阪大入試問題indexへ戻る