2013年度大学入試センター試験『日本史B』問題解説

日本史B
 

いきなり戸惑った受験生も結構いたのではないか。
ぼくは毎年、「大学入試センター試験問題評価委員会報告書」にリンクをはって、受験生は読むようにと勧めているし、授業ではその分析を紹介している。
平成24年度報告書の「高等学校教科担当教員の意見・評価」では、出題者に対して「学習指導要領に沿った出題」との評価がなされる一方で、高校の授業担当者に向けて「新高等学校学習指導要領の十分な理解の上に構築された授業が求められている。」との警鐘が鳴らされていた。
ぼく自身も、本試験、追・再試験の報告を読んで生徒に、
本試験の報告書でも追・再試験の報告書でも縄文時代の出題が求められているから、今年は縄文時代に関係する内容が絶対でる。また、追・再試験で出題された「北海道・沖縄史」に関する設問に対しても『学習指導要領』に沿っていると一定の評価がなされているから、琉球・北海道史、日露交渉史は見直しておくように。」と生徒に指示はしていた。
しかし、直前に縄文時代の復習はしたが、自分のテーマ史の「北海道史・日露交渉史」のプリントでだめ押しの確認をしなかったことが悔やまれる。
(生徒は結構、見直してくれていたようで少しは救われた気分である。)

第1問
問1.Cが正解。アの擦文文化は一見難しい。しかし、ぼくの通史編「弥生時代」の最初に、「北海道と沖縄には弥生文化はない。北海道・沖縄は本州が弥生時代に入った後も、それぞれ北海道→続縄文文化沖縄→貝塚文化とよばれる狩猟・採集の経済を営んでいた。」と書いているように、貝塚文化は沖縄だから消去法でも擦文文化だと分かりたい。
(しかし結果としては90点台をとったような生徒複数が、「そうなんですけどね。言い訳ですけど、続縄文文化と貝塚文化をセットで覚えていたので、「続縄文文化」の文字を見たので脊髄反射で「よっしゃ、貝塚文化や!」と飛びついてしまいました。」と言っていた。残念至極である。)イは、ダミーの甘藷がサツマイモのことだと分かれば分かる。サツマイモが享保の時代に青木昆陽らの尽力で広まっていったこともあるけど、何より昆布は今でも北海道の特産品である。それをサツマイモだと思ったら、日本史以前の問題でしょう。
問2.Bが正解。これは猫。@は松前だから室町幕府じゃないよ。Aは相手がシャクシャインだろうがコシャマインだろうが、アイヌに戦いで負けていない。Cはロシアの接近によって一時、蝦夷地が直轄になったこととひっかけているのだが、松前藩は改易にはなっていない(津軽藩内に移された)し、何より五稜郭は戊辰戦争のことを考えたら時代が違うことが分かる。
問3.Bが正解だが、これも猫。Xは「エトロフ」→択捉島を地図中から選ぶ。これを国後島や得撫島にダミーを打たれたらやや難しかったかもしれないが、a(利尻島)ではないよ。Yは日露和親条約で樺太が両国人雑居地になったことは基本中の基本。それで樺太が地図で選べなかったら、地図を用いた問題でできる問いはないでしょう。
問4.@が正解。落ち着いて地図を読めば選べる。(注2)に南蛮:東南アジアと書いてあり、これを読まずに「南蛮」をポルトガル・スペインだと思った者以外はできたと思う。
問5.@が正解。これは平成24年度の追・再試験の問題番号26の選択肢Cに「開拓史の職員をやめた謝花昇が、北海道で参政権獲得運動を起こした。」という文があり、きちんと学習していた者はできた。「大学入試センター試験問題評価委員会報告書」の「高等学校教科担当教員の意見・評価」では、出題に一定の評価を与えた上で、「ただし、正誤の判断が、謝花昇は北海道ではなく沖縄であるという点にほぼ委ねられたのは、評価する学習内容としてはやや細かすぎる」という批判もされているが、解いていた者は、謝花昇という人物が沖縄で参政権獲得運動に取り組んだ人物であり、沖縄県には本土並みの参政権が与えられていなかった(本土より22年遅れた)ことを学んだと思う。bの琉球帰属問題は基本である。
問6.Aは明らかに誤文。猫でもわかる。沖縄がアメリカの施政権下におかれることが確定したのは、日本が独立したサンフランシスコ平和条約であり、さらにこの条約でGHQによる統治も終了する。日米行政協定とは、サンフランシスコ平和条約と同時に調印された日米安全保障条約に基づいて翌1952年に締結され、日本が米軍に基地を提供し、駐留費用を分担することを定めたものである。
ぼくとしては少し引っかかったのがBである。1950年に沖縄には琉球列島米国民政府がおかれているので、「米軍統治下の沖縄では」は、「?」であった。教科書(山川『詳説日本史』)には「第二次世界大戦後の沖縄は日本本土から切り離されて、アメリカ軍の直接軍政下におかれた。日本の独立回復後も、沖縄は引き続きアメリカの施政権下におかれたが、ベトナム戦争にともなう基地用地の接収とアメリカ兵の犯罪増加があり、祖国復帰運動が本格化した。」とあり、サンフランシスコ平和条約後も軍政であったとは書いていない。ただ、米国民政府がおかれても実際には、キャラウェイ中将に代表されるように軍政であったので、問題として間違いではないとは言える。

第2問
問1.@が正解。bは誤文だが「うまいなぁ」と思った。青銅器は祭器だから、古墳時代前期の司祭的君主が持っていそうだが、銅鏡・銅鐸・銅剣って基本的にセットで出土しないし、銅鐸と言えばまず弥生時代だよね。誤文dは、×横穴式石室→〇竪穴式石室。埴輪は副葬品ではないというように、2か所間違いを作ってくれている親切な問題であった。
問2.Cが正解。これは史料が読めれば問題ない。
問3.Bが正解。猫ですね。Xは大和や河内の大規模古墳を上回る巨大な古墳が、武蔵や出雲にあったら、大仙陵古墳は日本一じゃないだろう。
問4.Cが正解。猫というより常識。多分誤った受験生はいない。元明天皇は平城京遷都の天皇。
問5.Eが正解。子猫でもできる。長屋王の変→藤原広嗣の乱→橘奈良麻呂の変という基本問題。
問6.Aが正解。これも猫。「桓武の勘解由使、蔵人けび」(蔵人頭=峨天皇=検非違使)は常識。さらに検非違使を勘解由使に変えても、勘解由使は中央にいるのであって諸国に派遣されていないし、郡司は世襲であって交替しない。つまり、この単文の中に3か所も間違いが入っている超親切な問題だった。

第3問
問1.Cが正解。Xの『選択本願念仏集』は親鸞ではなく、まさに法然の著書。Yの題目は「南無阿弥陀仏」ではなく「南無妙法蓮華経」である。「南無阿弥陀仏」はもちろん念仏。
問2.@が正解。やや難しいかもしれないが、ぼくはよくできた問題だと思う。@は明らかに正文である。Aも平氏に焼き討ちされたのは南都寺院であって延暦寺焼き討ちは織田信長だと考えれば誤文だと判断できる。Cは「藤原氏は肝冷やす(やす)」で「藤原よひら(清衡)→とひら(基衡)→でひら(秀衡)→やすひら(泰衡)」であり、よく「奥州藤原氏三大の栄華」と言われること。そして、義経を匿い続けた秀衡の死後、奥州藤原氏は滅亡したことを考えれば誤文だと判断できる。
 難しいと思われるのはBであろう。慈円が後鳥羽上皇による討幕計画(承久の乱)を諫める目的で『愚管抄』を著したのは基本事項なので、正誤のポイントは、慈円が天皇家出身ではなく摂関家出身であることを知っているか否かだけとなる。ぼく自身は授業で、『玉葉』を著し、源頼朝と親交のあった九条兼実と、『愚管抄』の慈円は、尾形光琳・尾形乾山と並ぶ黄金の兄弟だと教えている。しかしこの点だけを取り上げると、「細かい事項に踏み込んだ」と批判されるレベルかもしれない。
 
 しかし慈円が諫めた背景には、4代将軍となる九条(藤原)頼経が当時すでに鎌倉にいたことがあった。九条頼経は、九条兼実の曾孫であり、慈円にとっては一族である。
 3代将軍源実朝が暗殺された後、幕府は有力御家人の総意の上に皇族を将軍に迎えようとしたが、後鳥羽上皇に拒否される。そのため源頼朝と親交のあった九条兼実の曾孫でもあり、かつ頼朝の妹の曾孫でもあった、当時2歳の頼経が鎌倉に迎え入れられたのである。
 慈円は天台座主であるとともに、政治的には兄兼実の孫である九条道家の後見人を務めていた。九条頼経はその道家の子になる。慈円は頼経が将軍として鎌倉に赴くことを、公武協調の理想ととらえて期待を寄せていた。だからこそ、その朝幕関係の理想を武力で壊そうとする後鳥羽上皇の挙兵に反対したのである。
 この承久の乱前後の朝幕関係の推移の中にこの問題を位置付ければ、これは単なる枝葉の知識問題ではなく、歴史の本質に関わる良問だと言える。受験生には難問ではあったかもしれないが、教員に対して「出来事の本質を教えるように」との出題者のメッセージのようにも感じられた。
 なお、朝幕の協調を願った慈円の思惑とは裏腹に、承久の乱によってこれまた兄兼実の曾孫であった仲恭天皇まで廃されてしまう。これに対して慈円は、幕府を非難するとともに仲恭帝復位を願う願文を納めている。

問3.Aが正解。猫。甲は地図が東西南北が分かれば解ける。乙は「社殿と仏堂が隣り合っている」とわざわざ書いてあるのだから神仏習合。
問4.Aが正解。これも猫。「平安末期の歴史物語」で枕草子を選ぶ人はいないだろう。「四季山水図」=雪舟は常識。
問5.Aが正解。初代鎌倉公方となった足利基氏は当然、足利尊氏の子である。迷う余地なし。
問6.Bが正解。鎌倉新仏教について多くの教科書が、浄土教系、禅宗、日蓮宗というくくりで述べているが、ぼくのノートは「1幕府創設時=法然・栄西→2承久の乱時=親鸞・道元→3蒙古襲来前後=日蓮・一遍」という時代ごとの構成になっている。しかしそれが分からなくても、「U栄西=臨済宗の祖→T蘭渓道隆は、渡ってきた臨済の僧だから、栄西より後。しかも5代執権北条時頼の時代と書いてある→V寧波の乱は室町時代」で簡単に解けた。

第4問
問1.Bが正解。琉球から来る謝恩使(琉球王の代替わりごと。「おかげさまで〜!」)と慶賀使(将軍の代替わりごと「おめでとうございます〜!」)の違いはお約束のネタ。5代将軍が綱吉だと知らない受験生はいないだろう。
問2.@が正解。日光東照宮だと分かれば解ける。ダミーであるCの数寄屋造が問われれば、普通は桂離宮である。しかも、リード文の下線部aは「幕府は、神格化された徳川家康の権威も政治的に利用した。」であり、写真で迷ってもこれで日光東照宮だと分かる。「迷ったらセンター試験は『リード文に必ずヒントがある』は鉄則」である。
問3.Cが正解。落ち着いて読んだらできる。
問4.Cが正解。問われているのが万延小判だと判断できれば表がなくても分かる。さらに表で確認して正答だと確信できただろう、ダミーの@,Aは表を読めばよい。Bは新井白石が正徳小判だと知っていれば分かる。
問5.Aが正解だが、少し迷った受験生がいたのではないか。Tの人足寄場が寛政の改革であることは分かる。問題はUの大塩の乱とVの関東取締出役である。ともに徳川家斉の大御所時代の出来事として覚えていた者もいると思う。しかしUの大塩の乱は天保の飢饉に際して起こったものであり、この後天保の改革になることを考えれると、「T寛政の改革→V大御所時代の初期(1805)→U大御所時代の末期(1837)」と判断できた。
問6.@が正解。やや難。Xは頻出ネタで問題ない。迷ったのはYではないか。正誤の判断がゴローニンが捕らえられたのが国後島であることを知っているか否かにかかっている。普通、ゴローニン事件というと「高田屋嘉兵衛の尽力で解決→大黒屋光太夫(ラクスマンが送り届けた)との正誤に注意」であって、国後島は意外に抜けていたかもしれない。何か第1問そのものが「北海道・日露交渉史」なのに、さらにここでも日露交渉史がでてきて、たった36問なのに内容が重複している気もする。

第5問
問1.Aが正解。教科書の本文のまま。文化史が苦手な生徒にはやや難しかったように思えたかもしれないが、例えば山川の『詳説 日本史』には、「福沢諭吉の『西洋事情』『学問のすゝめ』『文明論之概略』、中村正直訳のスマイルズの『西国立志編』やミルの『自由之理』などが〜」とまさにそのまま記されている。ガラ紡=臥雲辰致、国産力織機=豊田佐吉も基本である。
問2.@が正解。猫。Aの日本銀行は松方正義に決まっているし、Cの造船奨励法は、常識で考えても、海運業の発展を図るために民間企業を国有化するはずがない。鉄道国有法のひっかけか。Bも親切問題。治安維持法は共産主義をおさえるために国体の変革や私有財産制度の否定を図る者を取り締まったのであり、集会・結社・言論の制限ではない。それに何より設問文の「明治期に定められた制度・法律」という条件にもあっていない。
問3.Bが正解。a・bの選択は猫。aの富岡製糸場は群馬であって横浜ではないのは高校入試レベル。問題はc・dだったと思う。国内の綿糸生産高が綿糸輸入高を上回ったのは1890年だが、これは覚えていないかもしれない。しかし、「綿糸輸出高が綿糸輸入高を上回った1897年は絶対!この年を日本紡績業確立の年という。」というのは習ったはずである。そうすると日露戦争がさかいではないと導きだせる。
問4.Cが正解。考えさせる良問だと思う。Xの日英通商航海条約とは、治外法権の撤廃に成功した条約。ということは調印は日清戦争開始の直前だから1894年。問題はその翌年だから1895年。それが分かったらグラフから読み取れた。Yはグラフの読み取りで誤文だと判断できる。
 なお、今、高校2年生などで、論述のある大学を志望している生徒は、リード文に注目して欲しい。「不平等条約改正の交渉過程で、外国人の特許権取得も認められるようになった。1899年の特許法の制定など、法的な整備も進み、」の部分が、実はXのヒントにもなっているのだが、特許登録件数が急上昇したのはグラフでも1899年から1900年にかけてであることが読み取れる。この1899年とは「日英通商航海条約が発効した年」でもあった。この特許法と条約発効とは深い関係がある。条約発効=治外法権撤廃の条件としてパリ条約に調印して、外国人の特許を認める法整備をすることが求められたからであった。これがリード文の「不平等条約改正の交渉過程で、外国人の特許権取得も認められるようになった。」の意味である。このあたりにも出題者のメッセージのようなものを感じるのはぼくだけだろうか。

第6問
問1.@が正解。アは基本中の基本。イの帝国在郷軍人会はなじみが薄かったとは思うが、リード文の「兵役経験者」、「1910年に全国的に統合」という言葉から、1940年にナチ党のような政治組織を目指した大政翼賛会ではないことは容易に判断できる。
問2.Aが正解。猫でしょう。Xはその通り。Yは、現役規定を除けたのは大正政変後に成立した第一次山本権兵衛内閣であり、米騒動直後に成立した原敬内閣とひっかけている。
問3.Bが正解。基本。@は×国際連合→〇国際連盟という過去にも出た大技!。生徒に「この大技も過去にあったぞ」と言っていたが、本当に出た。Aはお約束の4文字・9文字(四カ国条約→日英同盟(4文字)廃棄。九カ国条約→石井ランシング協定、対華二十一か条要求の一部(ともに9文字)の廃棄)の組み合わせである。Cのバンドン会議とは1955年に開かれたアジア・アフリカ会議のことであり、時代の条件にあわない。
問4.@が正解。bの経済安定九原則は、GHQの統治下の話。dの在華紡は第一次世界大戦の大戦景気の中で中国に進出した紡績工場である。大体、日中戦争の泥沼の中で占領地に国策会社の紡績工場を設立できるか考えてみてほしい。
問5.Cが正解。考えたら分かる。@の内村鑑三が教職を追われたのは、教育勅語への拝礼であって、神社参拝でないのは常識。しかも内村は大学教授ではなく第一高等中学校の講師であった。bは滝川幸辰は刑法学者であり、鳩山一郎文相によって京大を追われた(滝川事件)のは頻出。(エピソード 「滝川事件を巡る人々」)Bの北村透谷は『文学界』でしょう。猫でも分かる。
問6.Cが正解。Xは、「国民政府が首都を移した」で漢口か重慶だが、ここは重慶。aは北京だから間違えようがない。Yはちょっと悩んだか。cはホーチミンであろう。dはシンガポールである。cのあたりが「フランス領インドシナ(仏印)」とよばれたことを考えたら、イギリスの植民地という文言からdだと分かる。
問7.Bが正解。多くの受験生は消去法で判断したか。@の日本労働組合総連合会は社会党の誤りだと容易に判断できる。Aはあまり考えたことがなかったのではないか。全面講和論の理論的中心は、吉田茂に「曲学阿世の徒」と言われた東大総長南原繁であるが、河合栄治郎も関係していたのだろうかと悩んだのではないか。受験生としては、河合栄治郎が出たら、日中戦争期のファシズムによる思想の弾圧の項目だから、多分このころまで東大教授じゃないだろうと推測するほかなかったのではないか。Cの社会民衆党は引っかからないでしょう。というか社会民衆党って覚えてる?1926年に労働農民党というの無産政党が結成されるが、共産党系が勢力を強めると、そこから分裂・離脱した議会主義の立場をとる政党である。
問8.Cが正解。考えたら分かる。1973年、第4次中東戦争によって第一次石油危機となる(田中角栄内閣)、PKO協力法に基づき最初に自衛隊を派遣したのはカンボジアであり、1992年、宮沢喜一内閣の時であった。


 正直言って、最初に見た時は、「これは難しい」と思ってしまった。しかし、こうして落ち着いて振り返ってみると、全体としては決して難しくはない。中間報告(その2)で日本史Bの平均点は62.13点というのも頷ける。
 そして一見、難問のように見えても歴史の本質を問うているような問題が、昨年に続いて出題されたようにも思う。

2013.2.3

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