『鎌倉時代編6 鎌倉文化2(芸術と建築)』


(ノートP.45~46)

建築
 基本は、「東大寺大仏」「円覚寺禅宗」→「東大寺南大門大仏様(天竺様)」「円覚寺舎利殿禅宗様(唐様)」の二つ。これが分かれば、和様の蓮華王院本堂(いわゆる三十三間堂)や石山寺多宝塔、折衷様の観心寺金堂についても、消去法で解ける場合がある。大仏様・禅宗様ともに写真も頻出するが、内容からの出題も多い。つまり「少ない材料で大きな建物→大仏様」「細かく美しい細工→禅宗様」である。大仏様は先述の重源がもたらしたが、宋の工人の陳和卿も聞かれることがある。
 

東大寺大仏大仏様

勤務校の前期課程(中学校)の担任として、修学旅行で奈良・京都に行った時のこと。数人の女子生徒がぴったりついて歩いてきた。曰く「私たちはまだ知識がないけど、先生にくっついていたら、よいものを見逃すことはないでしょう。」→「見上げてごらん。
大きい建物なのに、部材が少なくてすかすかだろう。これを大仏様っていって、鎌倉時代に宋から入ってきたんだ。」
円覚寺禅宗禅宗様
見るからに細かく美しい。
蓮華王院本堂(三十三間堂)(和様

昔、クイズバラエティ番組に、ここでの「通し矢」に成功した人が出て、実際弓を引いた。水を一杯に溜めた鉄のバケツをスローでも矢が見えない速度で貫通した。そんな人が鎌倉時代には何人もいたということである。
中の千体千手観音(受験にはでない)の顔のどれかが、あなたの顔らしい。外国人ツアー客に紛れて、ガイドから聞いて初めて知った。
石山寺多宝塔和様

彫刻
 
鎌倉彫刻のキーワードは、「写実的・人間味豊か」とどの本を見ても書いてある。運慶快慶たちのいわゆる「慶派」が活躍した。この2人による東大寺南大門金剛力士像を見て、「どこが写実的?こんな人間いたら大変や」と思うかもしれないが、弘仁・貞観文化の「如意輪観音像」が歩いていたら、そっちの方が大変だろう。
 作品と作者を一つ一つ覚えるしかないので、注意事項のみあげておく。
(1)運慶の子は湛慶や康弁(「興福寺天灯鬼・竜灯鬼」)、康勝(「六波羅蜜寺空也上人像」)であって、快慶は子ではない。
(2)市聖と呼ばれた空也は国風文化の人だが、康勝の「六波羅蜜寺空也上人像」は鎌倉文化
(3)肖像彫刻の代表作「東大寺重源上人像」は東大寺再建(東大寺や興福寺は平重衡に焼かれた)から聞かれる。「上杉重房像」は鎌倉名月院と一問一答。
(4)運慶の作は「興福寺の無着・世親像」、快慶の作品は「東大寺僧形八幡神像」だが、この「僧形八幡神像」が結構写真で問われる。僧形八幡神というのだから、「僧の形をした神様の像」であり、神仏習合である。神仏習合というと弘仁・貞観文化が思い浮かぶ。実際、有名な「薬師寺僧形八幡神像」があり、これまた写真ででる。
 そのため、以上のものはすべて写真を確認しておいてもらいたい。

絵画
  似絵(肖像画)頂相(禅僧の肖像画)は、正誤問題で頻出する。頂相には必ず「禅宗(禅僧)の」というキーワードが付く。絵巻物は例の「平安末期の4つ(信・源・伴・鳥)」以外は全てこの時代のものと考えてよい。
 描かれている内容から作品を問われることもあるので、それぞれのキーワードを覚えておきたい。
(1) 「伊予国出身の僧の・・・→『一遍上人絵伝』」
(2) 「藤原氏の氏寺の・・・→『春日権現験記』」
(3) 「菅原道真の・・・→『北野天神縁起絵巻』」
(4) 「元寇、竹崎季長の・・・→『蒙古襲来絵巻』」
(5) 「関東武士の生活→『男衾三郎絵巻』」  といった感じである。

書道
 尊円入道親王(法親王)の青蓮院流『鷹巣帖』だけだが、これで書道は打ち止めである。
 つまり「弘仁・貞観文化=三筆(空海『風信帖』・橘逸勢・嵯峨天皇)」→「国風文化=三蹟(藤原佐理『離洛帖』・小野道風『秋萩帖』・藤原行成→世尊寺流)」ときた流れの最後。なお、この青蓮院流が江戸時代に「御家流」に発展したことが問われたこともある。(最後やないやん!)

工芸
 刀工は、山川の教科書には名前のみ記されているが、これでは意味が薄い。「どこの誰」のセットネタである。「鎌倉→岡崎正宗」「備前→長船長光」「京都→粟田口吉光」と1つでも正確に覚える。甲冑の明珍は一問一答。
 瀬戸焼加藤景正は、単発ネタよりも、桃山文化の「豊臣秀吉による朝鮮侵略の影響ではない陶器」として、選ばされることが多い。

(2013.2.21 追記しました。)

通史目次へ戻る
トップページへ戻る
鎌倉時代編5『鎌倉文化1(宗教と学問・文学)』へ
室町時代編1『建武新政/南北朝の動乱』へ