発展 『田堵と負名と名主の違い』

 学生時代、「みょうよりみょうなものはない。」と聞かされた。もちろん「名より妙なものはない。」である。
 そのとおり、受験生にとってもわかりにくい。しかも近年は教科書に負名という言葉まで登場し、さらにわかりにくくさせている。
 
 以下に、ぼくが説明で用いている方法を掲載するので、参考になれば幸いである。


 学校に喩えてみます。

 ぼくは、教員として高校3年1組というクラス担任をしています。
 クラス
経営単位である。→徴税単位である。
 つまり、ぼくは、3年1組というの経営を請け負っている有力農民田堵となります。
有力農民は当時、農業経営の専門家を意味する田堵と呼ばれた。(実教『日本史B』新課程版)

 担任は、ぼく以外にも3年2組佐藤、3年3組鈴木、3年4組高橋、3年5組田中などがいますが、ぼくは3年1組を任されているので、3年1組は経営を請け負ったぼくの名前をとって「野澤クラス」と呼ばれます。→「田堵が請け負ったそれぞれのには、負名と呼ばれる請負人の名がつけられた。」→担任である野澤は、名である3年1組負名です。

 さて、3年1組の担任であるぼくは、クラスの成績や進路に責任を負うことになります。→負名は、の徴税に責任を負います。

 仮にぼくが非常にクラス経営がうまく、実績があがったとします。すると校長=受領(もしくは領主)は、ぼくの手腕を買って、3年2組、3組の担任も兼任させることになりました。→3年1組の経営を任された田堵であったぼくは、多くのクラス多くのの経営を大規模に請け負うようになり、大名田堵と呼ばれるようになる。(現実の学校ではありえません。)

 さて、本来担任は1年ごとに交代する→田堵は1年契約である。
 しかし、これほどまでに力をつけた3年生のクラス担任であるぼく(野澤)は、やがて毎年、3年1組の担任を任されるようになっていきました。こうなると、田堵であるぼくはあたかも3年1組のようになります。
→平安末期になると、田堵は名に対する権利を強め、の主という意味で、名主と呼ばれるようになる。

  
2012.10.20
2015.9.5改定
2015.9.6加筆



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