「もはや戦後ではない」の真意

 神武景気の時期の1956年、『経済白書』に「もはや戦後ではない」という言葉が記された。
 『経済白書』には、「
われわれは従来まで、ともすれば、現実を正視する勇気にかけていた。」(1947年)など、「おおおお」と声を挙げたくなるような言葉が他にもあるが、やはり一番秀逸なのは、この「もはや戦後ではない」であろう。

 しかし、この言葉の真意が誤解されていることが多いように思う。ネット上では

 世界技術革新の波に乗って『日本の新しい国造り』に出発することが必要ではないだろうか」と呼び掛けています。当時の日本人の意欲が伝わってくる名文です。(某証券のHP 2022.7.17コラム)

 
日本経済が敗戦のショックから立ち直り、先進国の仲間入りを果たしたことを宣言したものである。(某信託銀行 調査月報 2015年5月号)

 など、この言葉を希望にあふれるポジティブなものととらえているのが見られる。しかし、これは大いなる誤解である。

  この年の『経済白書』には、該当の部分だけをとっても、次のように記されている。

 
いまや経済の回復による浮揚力はほぼ使い尽くされた。なるほど、貧乏な日本のこと故、世界の他の国々に比べれば、消費や投資の潜在需要はまだ高いかもしれないが、戦後の一時期に比べれば、その欲望の熾烈さは明らかに減少したもはや「戦後」ではない。我々はいまや異なった事態に当面しようとしている。回復を通じての成長は終わった。今後の成長は近代化によって支えられる。そして近代化の進歩も速やかにしてかつ安定的な経済の成長によって初めて可能となるのである。

 気付いただろうか。この文は「これから新しい成長が始まる」という希望を述べているのではない。

 
これまでの経済成長を支えてきた復興需要がなくなる。しかも戦後直後に比べて情熱も明らかに減少している。そのため、これからは厳しい時代に入る。だから、今後の成長のためには近代化を進めるしかない

という、今後の日本経済に対する危機感を述べ、国民を戒めようとした言葉である。そして「近代化の進歩も速やかにしてかつ安定的な経済の成長によって初めて可能となるのである。」と、安定成長を求めていた。

 しかし、この予測は外れ、日本経済は停滞するどころか高度経済成長を迎えることになった。そのため、この言葉はポジティブなものだとの誤解を生じるようになった。

 経済官僚が予測を大きく誤ったことは、褒められたことではないのかもしれない。
 それでもぼくが感動するのは、廃墟と化した国を奇跡的な速度で復興させてなお、危機感をもって国民を戒めようとした行政担当者たちの姿である。


 2023.4.3

『現代編5 戦後日本の経済成長/戦後の文化』
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