エピソード 『いいのか!?石人・石馬』


 ぼくが磐井の墓とされる岩戸山古墳に行ったのは、学生時代のことであった。古墳のあたり全体が公園のようになっていた。そして古墳の上へも登ることができた。
 古墳の上はかなりの広さで、子どもがボール遊びが出来そうだった。その奥のほうに、今では図表などでよく見る石人・石馬はあった。(ぼくの高校時代には、図表にこの写真は載ってなかったように思う。)

「あ〜、これが話に聞く大陸式の石人・石馬かぁ。」

と独り言をいって近づきながら、すぐに「待てよ。」と思った。

 これが本当に磐井の墓ならば、磐井の乱は527年だから、この墓も6世紀のものである。しかも日本ではほとんど他に例を見ない朝鮮式の石人・石馬のはずだ。それが、こんなところにむき出しになっているのか?しかも、勘違いかも知れないが、何やら軟式野球のボールが当たったような跡もあるぞ!いいのか、これ!?

 実は・・・

 古墳の上に並べられている石人・石馬はレプリカで、本物はすぐ近くの資料館に展示されていました。あ〜、びっくりした。
 ですから、皆さんが図表で見る写真もレプリカを写したものです。
(でも、中国の西安郊外にある則天武后の墓の前の石人・石馬は、当時のものです。もっとも、イスラム教徒に攻め込まれた時に、偶像としてかなり破壊されていますが。)


(2002.12)

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