2019年度 『筑波大学 その4』


吉野作造と原敬内閣

IV 次の史料は,吉野作造が『中央公論』大正7年(1918)10月号に発表した「原内閣に対する要望」という論説の一部である。この史料を読んで,傍線部(イ)について説明したあと,(ア)と(ウ)に関して原敬内閣が行った施策を具体的に説明し,それらと吉野の要望との相違点について論述せよ。

  (前略)
 第一は(ア)対露対支問題の根本的解決である。時の政府が何と説明しても,従来此方面に一貫の国策の無かった事は争ひ難い。殊に最近に於ては支那並びに西伯利(シベリア)方面に於ける帝国官民の行動は支離滅裂を極むるものであった。而して之が根本的解決は,只だ之れを一外交問題としてよく解決の出来る性質のものではない。更に溯って考へれば,之れ実に一個の思想の問題である。(イ)目下内外両面の政界に滔々(とうとう)として流れて居る世界的思想を的確に諒解し,尚且つ之れに忠実に順応するの態度を欠いては,如何にして対支対露の外交問題を解決することが出来るか。之れが根本的解決を新政府に求めて果して満足を得るや否やは別問題として,兎も角我々国民は如何なる新政府に向つても常に之れを繰り返して止まざるものである。
 第二に又之れと同じ根本思想から内政上の各方面の改革をも希望して置きたい。(中略)言論自由の尊重は勿論,社会の各方面に洽(あま)ねく生気を発動せしめ,溌剌(はつらつ)たる新精神を以て一貫するやう各種の改革を希望するものである。殊に教育の刷新に就ては特殊の努力を希望するものである。一々個々の項目は挙げない。
 第三に吾人の予ての主張たる(ウ)選挙権拡張に就ては,又新内閣に対する要望の重大なる一項として之を掲げざるを得ない。政友会は先に一度普通選挙主義を衆議院に於て是認した。只之に党略以外幾何の誠意ありしやは大に疑なきを得ざるも,兎に角時勢の進運今日の如きものあるに際しては,少くとも之れに対して広汎なる且つ真率なる調査考究を為すの必要はあらう。小選挙区の問題以外,選挙法の根本義に重大なる変革を加ふるは政友会の希望せざる所と聞いて居るけれども,若し果して之れが為めに選挙権拡張問題の考究を等閑に附するが如きことあらば,之れ党略の為めに国務を疎かにするの譏り(そしり)は免れまい。
 第四に経済政策の確定を要求したい。就中(なかんづく)最も肝要なるは食料品問題,税制の整理並びに労働問題の解決であらう。目前の対策としては正貨収縮の問題もあるけれども,斯(か)くの如きは少数富豪の反対を意とせざるの覚悟があらは訳も無く解決の出来る小問題である。(後略)

(『吉野作造選集』3,岩波書店,より。表記は原文に従ったが,適宜ルビを補った)
17世紀における幕府政治の推移について,次の(ア)〜(エ)の語句を用いて論述せよ。解答文中,これらの語句には下線を付せ。ただし,語句使用の順序は自由とする。


  『詳説日本史』の抜粋で作成しました。

<野澤の解答例>
 大正政変を契機とする民衆運動の高揚は、政治思想にも大きな影響を与え、政治の民主化を求める国民の声が高まっていた。第一次世界大戦後、民主主義、平和主義、民族自決の原則は、世界の潮流となっていた。ロシアでは大戦中にロシア革命が起こり、世界最初の社会主義国家が誕生した。寺内正毅内閣はアメリカの提唱に応じ、シベリア出兵を行って干渉した。大戦終了後、列国は撤兵したが、原内閣になっても日本は駐兵を続けていた。中国に対しては、二十一カ条の要求で山東省の旧ドイツ権益の継承を求め、原内閣は、ヴェルサイユ条約で列国より承認を得た。これに対し中国では五・四運動が起こった。吉野作造は、普通選挙制に基づく政党内閣を是としており、原内閣は、立憲政友会を与党とする政党内閣であった。しかし、普通選挙の導入には冷淡で、納税額を3円以上に引き下げたのみであり、原内閣の政策は、吉野が要望する平和主義・民主主義とは異なっていた。(400字)


2020.11.6

 
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