2019年度 『筑波大学 その3』


17世紀における幕府政治の推移


V 17世紀における幕府政治の推移について,次の(ア)〜(エ)の語句を用いて論述せよ。解答文中,これらの語句には下線を付せ。ただし,語句使用の順序は自由とする。

(ア) 文治政治   (イ) 関ケ原の戦い   (ウ) 老中   (エ) 元和優武


  『詳説日本史』の抜粋で作成しました。

<野澤の解答例>
 関ヶ原の戦いに勝利した家康は,西軍の諸大名を処分し,征夷大将軍に就任して幕府を開いた。2年後には将軍職を秀忠に譲り、将軍職が徳川氏の世襲であることを示す一方で、大御所として実権を握り続けた。そして大阪の役で豊臣氏を滅ぼして元和偃武を果たし、武家諸法度を制定して諸大名を厳しく統制して、福島正則など多くの大名を法度違反を理由に改易した。3代家光は参勤交代を制度化する一方で、家康・秀忠の側近政治から、老中を統括者とする月番交代の職制を整備した。4代家綱の就任直後に起こった慶安事件を機に、幕府の方針は武断政治から文治政治へ転換した。末期養子の禁を緩和し、秩序におさまらないかぶき者の取締まりが強化された。5代綱吉は、儒教的な忠孝・礼儀による秩序の維持を図り、湯島聖堂を建てるとともに、朝廷との間にも協調した関係を築いた。さらに生類憐みの令を出して、戦国時代以来の武力で上昇を測る価値観を完全に否定した。(400字)


2020.11.6

 
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