2019年度 『筑波大学 その1』

8〜9世紀における中国文化の受容


T 8〜9世紀における中国文化の受容について,次の(ア)〜(エ)の語句を用いて論述せよ。解答文中,これらの語句には下線を付せ。ただし,語句使用の順序は自由とする。

(ア) 国風文化  (イ) 嵯峨天皇  (ウ) 『懐風藻』   (エ) 大学


 基本的に、『詳説日本史』の抜粋で作成しました。

<野澤の解答例>
 8世紀初頭、中国にならった大宝律令が完成し、律令制度による政治の仕組みがほぼ整った。国家意識が高まったことを反映して、国史の編纂が行われるとともに、律令制の文書主義に基づき漢字文化が地方にも展開した。貴族や官人には漢詩文の教養が必要とされ、最初の漢詩集である『懐風藻』が編まれた。官吏養成のための教育機関として中央に大学が設けられ、儒教などが教授された。9世紀になると嵯峨天皇は、律令制の再編に取り組み、天皇の権威・権力を強化するために唐風を重んじ、唐風の儀礼を整え、文学・学問に長じた文人貴族を政治に登用して国家経営に参加させる方針をとった。文章経国の思想が広まり、貴族は教養として漢詩文をつくることが重視され、勅撰漢詩集が相次いで編纂され、唐風の書が広まった。大学での学問も紀伝道が盛んになり、貴族たちは、漢字文学に習熟して漢字を使いこなすようになった。このことは、のちの国風文化の前提となった。(400字)


2020.11.6

 
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