2018年度 『筑波大学 その1』


7世紀末から8世紀末の都城の役割と遷都


次の各問について,それぞれ400宇以内で解答せよ。

1 7世紀末〜8世紀末の都城(都)の役割について,遷都の事実に言及しながら,次の(ア)〜(エ)の語句を用いて論述せよ。解答文中,これらの語句には下線を付せ。ただし,語句使用の順序は自由とする。

(ア)東大寺   (イ)中央豪族   (ウ)東市・西市   (エ) 条坊制



  『詳説日本史』の抜粋で作成しました。

<野澤の解答例>
 持統天皇は中国にならい、それまでの一代ごとの大王宮とは異なる、条坊制を持つ本格的な都城である藤原京へ遷都した。国家の重要な政務・儀式の場である大極殿・朝堂院などがつくられ、官僚制によって官吏となった有力な王族や中央豪族が集住させられて政務をとるようになり、新しい中央集権国家を象徴する首都となった。平城京は唐の長安にならい、北部中央に平城宮が位置し、都は中央を南北に走る朱雀大路で左・右京に分けられた。公営の東市・西市が設けられ,地方から運ばれた産物などが交換され、経済活動の中心となった。大仏や東大寺などの大寺院が造立され、鎮護国家思想に基づく仏教保護政策を推進したが、これらの事業は国家財政に大きな負担となった。さらに道鏡など僧侶による仏教政治の弊害もあり、桓武天皇は混乱した律令制度と財政の再建をめざし、天皇権力の強化をはかるため長岡京へ遷都した。しかし政治的動揺などから平安京へと再遷都した。(400字)


2020.11.7

 
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