2016年度 『筑波大学 その2』
建武の新政
次の各問について,それぞれ400字以内で解答せよ。
U 次の史料を読み,この時代における政治の展開について,下線部(ア)〜(エ)を説明しながら論述せよ。
保元・平治・治承より以来,武家の沙汰として政務を恣にせしかども,(ア)元弘三年の今は天下一統に成しこそめづらしけれ。君の御聖断は延喜・天暦のむかしに立ち帰りて武家安寧に民屋謳歌し,いつしか諸国に国司・守護をさだめ,卿相雲客各其階位に登りし体,実に目出たかりし善政なり。(中略)御聖断の趣,五畿七道八番に分けられ,卿相をもて頭人として,(イ)新決所と号して新たにつくらる。是は先代引付の沙汰のたつ所なり。(中略)古の興廃を改めて,今の例は昔の新儀也。(ウ)朕が新儀は未来の先例たるべしとて,新なる勅裁漸々きこへけり。(中略)爰(ここ)に京都の聖断を聞き奉るに記録所・決断所をおかるといへども,近臣臨時に内奏を経て非義を申し行ふ間,(エ)綸言朝に変じ暮に改まりし程に,諸人の浮沈掌を返すが如し。(中略)天下一同の法をもて安堵の綸旨を下さるといへども,所帯をめさるゝ輩,恨をふくむ時分,公家に口ずさみあり。尊氏なしといふ詞を好みつかひける。(中略)武家して又公家に恨をふくみ奉る輩は頼朝卿のごとく天下を専らにせん事をいそがしく思へり。故に公家と武家水火の陣にて元弘三年も暮れにけれ。
(新撰日本古典文庫3『梅松論』による。ただし,表記を一部改めた。)
『詳説日本史』の抜粋で作成しました。
<野澤の解答例>
鎌倉幕府が滅亡すると、後醍醐天皇はただちに京都に帰り、延喜・天暦の治を理想として「朕の新儀は未来の先例」と新しい政治を始めた。天皇は、幕府や院政、摂関も否定して天皇への権力集中をはかり、綸旨に絶対の力を持たせ、全ての土地所有権の確認に綸旨を必要とする法令を出した。中央には記録所や幕府の引付を受け継いだ雑訴決断所などを設置し、諸国には守護と国司を併置した。東北・関東には陸奥将軍府と鎌倉将軍府をおいて皇子を派遣したが、実際には旧幕府系の武士を重用していた。天皇中心の新政策は、武士社会につくられていた慣習を無視していたため、武士の不満と抵抗を引き起こし、公家との対立が深まった。また、にわかづくりの政治機構と内部の複雑な人間的対立や、朝令暮改の綸旨は、政務の停滞や社会の混乱を招き、急速に信頼を失っていった。このような形成をみて、幕府の再建をめざしていた足利尊氏は反乱を起こし、建武の新政は崩壊した。(400字)
2020.11.14
筑波大学入試問題indexへ戻る