2011年度 『筑波大学 その2』

永仁の徳政令


【U】次の史料は永仁5年(1397)7月22日に鎌倉幕府が出した法令の一部である。これを読み、下線を付したア〜エの語句を用いて、幕府がこの法令を出した政策意図について、社会的背景をふまえながら論述せよ。解答文中、これらの語句には下線を付せ。ただし、語句使用の順序は自由とする。

一 質券売買地の事
 右、所領を以て或いはア質券に入れ流し、或いは売買せしむるの条、イ御家人等侘●〔たてい〕の基なり。向後に於いては、停止に従ふべし。以前沽却〔こきゃく〕の分に至りては、ウ本主をして領掌せしむべし。但し、或いは御下文・下知状を成し給ひ、或いは知行廿箇年を過ぐる者は、公私の領を論ぜず、今更相違有るべからず。若し制符に背き、濫妨〔らんぼう〕を致すの輩有らば、罪科に処せらるべし。
 次に非御家人・エ凡下〔ぼんげ〕の輩の質券買得地の事。年紀を過ぐると雖も、売主知行せしむべし。
(東寺百合文書 原文は和様漢文)
注)侘●:困窮すること。  廿箇年:20か年。


<考え方>
 ご存じ、永仁の徳政令である。問われていることは、

ア テーマ:幕府が永仁の徳政令を出した政策的意図
イ 留意点:社会的背景をふまえること。
ウ 使用すべき語句:質券  御家人  本主  凡下の輩

である。「これはできる!!」と思った人が多いのではないか。

分割相続の繰り返しによる所領の細分化と、貨幣経済の発展にまき込まれて経済的に窮乏した御家人の中には、所領を質券に入れたり売却したりするものが現れた。また蒙古襲来による負担の増加は、さらに御家人の生活を困窮させた。そこで幕府は、窮乏する御家人を救うために史料の永仁の徳政令を発し、御家人が所領を質券として流したり、売却したりすることを禁止するとともに、すでに売却された所領のうち、御家人同士で売買された所領については、売却後20年に満たないものは無償で本主にとり戻させた。一方、非御家人や高利貸業者である借上などの凡下の輩に売却したものについては、年数に関係なく本主が取り戻せることとした。そして御家人が関係する金銭の訴訟を受け付けないことにした。(321字)

 受験生であれば、文章の組み立て方は別として、これに近い内容のものは書けるであろう。
 しかしこれでは400字という指定に対して321字しかない。答案としては最低でも指定された字数の8割は満たさなければ未完成とみなされ、極めて低い点となるか、無条件で0点とされても仕方がない。この場合、ぎりぎりの線である。

※ 門外漢ではあるが、受験指導として一言。英語の英作文で、スペルに自信がない単語を、空白にして飛ばす生徒がいる。絶対にしてはならない! スペルの間違いは単なる減点であるが、空白は未完成とみなされ、場合によっては0点である。スペルに自信がなければ、それらしい適当な文字を書いておくこと。これは大まじめである!!

 本題に戻ろう。
 
 客観的に考えて、80字足らずは少なすぎる。何が足りないのか。
 
 上の321字の文章は3つの部分から構成されている。
A 社会的背景
B 法令を出した目的
C 史料の内容の説明
である。
 設問をもう一度確認すると、問われているのは「幕府がこの法令を出した政策意図」である。しかしその部分はわずかに窮乏する御家人を救うため」の12文字しかない。
 問題点がこの部分にあることは、容易に判断できる。


 教科書にはこの法令発布の目的はどのように書かれているのか。
 実は山川の『詳説日本史』をはじめ、実教、三省堂、東京書籍、桐原のいずれの『日本史B』の教科書も「窮乏する御家人の救済のため」という内容が記されているのみである。
 現役の受験生にとって、たった12文字ではあるが、これ以上書くことは極めて難しいと考える。
 
 それでは史料の内容はというと、

(1) 御家人の所領の質入れ・売買禁止
(2) 御家人同士で売却された所領で20カ年未満のものは無償返却
(3) 非御家人や凡下の輩(一般庶民=借上)に売却したものは年紀に関わらず無償返却
(4) 御家人が関係する訴訟の不受理
(再審制度を廃止)

というポイントはすべて挙げられている。

 では、最後に当時の社会的背景はどうか。これについても山川の『詳説日本史』には、

 御家人たちの多くは、分割相続のくり返しによって所領が細分化されたうえ、貨幣経済の発展にまき込まれて窮乏しており、蒙古襲来の影響はいっそう大きかった。(P.103)

と記されているように、これも書き切っている。

 こうなると教科書のみで勉強している現役受験生はもう「質券として質に入れて流したり・・・」、「御家人の生活が困窮するもとであるとして禁止」、「御成敗式目の規定に基づいて20年未満(御成敗式目第8条に、「当知行の後、廿ケ年を過ぐれば、大将家の例に任せて理非を論ぜず改替に能はず。」とある。)、「元の持ち主である本主」、「一般庶民をさす凡下の輩の中でも、具体的には当時高利貸業を営んでいた借上」など、語句の説明等を足して、無理矢理字数を増やし、少しでも400字に近づける努力をする他はなく、実際に答案としてそれでよいのではないかとぼくは思う。

<野澤の解答例(その1)>
分割相続のくり返しによる所領の細分化と、貨幣経済の発展にまきこまれて経済的に窮乏した御家人の中には、所領を質券として質に入れて流したり、売却したりするものが現れた。また蒙古襲来による負担の増加は、さらに御家人の生活を困窮させた。そこで幕府は、窮乏する御家人を救うために史料の永仁の徳政令を発し、御家人が所領を質券としたり売却したりすることを、御家人の生活が窮乏するもとであるとして禁止した。その上ですでに売却された所領のうち、御家人同士で売買された所領については、御成敗式目の規定に基づいて、売却後20年に満たないものはもとの持ち主である本主に無償でとり戻させた。一方、非御家人や、凡下の輩とよばれた一般庶民の中でも、具体的には当時高利貸業を営んでいた借上などに売却したものについては、年数に関係なく本主が取り戻せることとした。そして御家人が関係する金銭の訴訟を受け付けないことにした(393字)


 これで合格点はとれると考える。その上でより発展させた解答例を示したい。もちろん教科書の記述の範囲内である。

 阪大の問題の解説を書くのに利用している実教の教科書には、次のように書かれている。

 鎌倉時代になってもひきつづき分割相続をくりかえしていた武士たちは、所領の細分化をさけることができず、各地で相続をめぐって一族内部の争いが深刻となり、また、貨幣経済の進展にまきこまれて、所領を失う武士も少なくなかった。蒙古襲来のときも、恩賞にあずかることが武士たちの切実な願いであったが、たたかいがすんでも没収地はなく、幕府は十分な恩賞を用意することができなかった。困窮した武士や土豪のなかには、集団で港湾や荘園の倉庫をおそい、民家を焼きはらうなどの反体制的、反社会的な動きをみせる者も多く、悪党とよばれるようになった(P.122)

 また、先に記した京大の解説の中で取り上げた三省堂の『日本史B』には、

 このころ、流通経済の発展や蒙古襲来の出陣などにより、御家人の困窮ぶりが深刻になっていた。武士だけでなく公家や寺院・神社のなかにも、所領を売買したり、質入れする者が多くなり、荘園公領制がゆらいでいた。そこで幕府と朝廷はともに、裁判の公正化をはかったり、債務関係を取り消し、所領を元の所有者にもどしたりする徳政とよばれる政策をおしすすめて支配を維持しようとした。ことに幕府は、1297(永仁5)年に徳政令を出した、窮乏した御家人の救済に乗りだした。(P.102)

 この2つを永仁の徳政令を出した理由として、当時の社会的背景の説明に加えれば、答案にはるかに厚みができる。
 
<野澤の解答例(その2)>
分割相続のくり返しによる所領の細分化と、貨幣経済の発展にまき込まれて経済的に窮乏した御家人の中には、所領を質券として流したり売却したりする者が現れ、荘園公領制がゆらいでいた。また蒙古襲来による負担の増加は、さらに御家人の生活を困窮させた。困窮した武士の中には、荘園を襲うなどの反体制的、反社会的な動きをみせる者も多く現れ、悪党とよばれた。幕府は支配を維持するため、窮乏する御家人の救済を図り、史料の永仁の徳政令を発して、御家人が所領を質券としたり売却したりすることを禁止した。そしてすでに売却された所領のうち、御家人同士で売買された所領については、御成敗式目の規定に基づいて、売却後20年に満たないものは本主に無償でとり戻させる一方、非御家人や高利貸業者である借上など凡下の輩に売却したものについては、年数に関係なく本主が取り戻せることとした。そして御家人が関係する金銭の訴訟を受け付けないことにした。 (400字)

2011.4.3

 
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