2010年度 『筑波大学 その3』


【V】江戸時代前半期における社会の文化的特徴を、次の(ア)〜(エ)の語句を用いて論述せよ。解答文中、これらの語句には下線を付せ。ただし、語句使用の順序は自由とする。

(ア)坂田藤十郎  (イ)『曾根崎心中』  (ウ)天下の台所  (エ)尾形光琳

<考え方>
 江戸時代の前半期っていつまでだ?
 家康が征夷大将軍になったのが1603年で、滅亡が1867だから、真ん中は1735年。享保の改革の最初のイベントである相対済し令が1719年である。教科書でも享保の改革の時期から「幕藩体制の動揺」と大きく章(テーマ)が変わるので、その前の元禄時代(正徳の治を含む)まで、文化で言えば「元禄文化」までと考えるのが妥当であろう。
 実際、指示されている語句も坂田藤十郎、曽根崎心中、尾形光琳と元禄文化を代表するものである。

 さて、問われているのはこの時期までのまで文化的特徴である。筑波の問題は与えられている語句が解答への道しるべになっていることが多い。
 今回も指示された語句から「元禄文化=上方中心=大坂は天下の台所」という方向が導き出せる。正確に言えば寛永期の文化も入るのだが、寛永期の文化のメジャーリーガーは、桂離宮と本阿弥光悦と酒井田柿右衛門であり、全部京都である。考え方としては元禄期の文化的特徴を記したのでよいと思う。
 なお、元禄時代の全体像としては「政治の安定と経済の発展とを背景に、17世紀後半には5代将軍徳川綱吉の政権が成立し、いわゆる元禄時代が出現した。」とある。

 最初に指示されている語句について、教科書(「詳説 日本史」)からまとめてみる。
(1) 坂田藤十郎=歌舞伎も民衆の演劇として発達した。上方に恋愛劇(和事)を得意とする坂田藤十郎らの名優が出た。
(2) 曽根崎心中=武士の出身であった近松は、現実の社会や歴史に題材を求め、義理と人情の板ばさみに悩む人びとの姿を、人形浄瑠璃や歌舞伎の脚本によって描いた。近松の作品は竹本義太夫らによって語られて民衆の共感をよんだ。作品には「曽根崎心中」など当時の世相に題材をとった世話物、「国姓爺合戦」など歴史的ことがらを扱った時代物などがある。
(3) 天下の台所=農業や諸産業の発達は、都市を中心に全国を結ぶ商品流通の市場を形成した。大坂は「天下の台所」といわれ、西日本や全国の物資の集散地としてさかえた大商業都市であった。諸藩は蔵屋敷をおいて、領内の年貢米や特産物を販売し、貨幣の獲得につとめた。また、全国の商人が大坂などにおくる商品も活発に取引されて、江戸をはじめ全国に出荷された。
(4) 尾形光琳=美術では、上方の有力町人を中心に、寛永期の文化を受け継いで、いちだんと洗練された作品が生み出された。京都では尾形光琳が俵屋宗達の装飾的な画法を取り入れて琳派をおこした。

 これを元禄文化全体の特徴の中に組み込んでみたい。
 
  幕政が安定して経済がめざましく発展すると、武士や有力町人のみならず、民衆にいたるまで多彩な文化が芽生えた。その特色は、人間とその社会を現実主義や実証主義でとらえる傾向が強いことである。現世を「浮き世」とみて、現実そのものを描こうとする文学は町人のなかから生まれ、儒学が奨励されて政治と結びつき、また実証を重んじる古典研究や自然科学の学問が発達した。

 この中の経済の発達は「天下の台所」と、民衆は「坂田藤十郎」と、現世を「浮き世」とみて、現実そのものを描こうとする文学は「近松の曽根崎心中」と、多彩な文化は「尾形光琳」と結びつけることができる。(浮き世はやはり西鶴を加えたいが。)
 そうなると足りないものは、「儒学が奨励されて政治と結びつき」と「実証を重んじる古典研究や自然科学」の部分である。これを書き足したい。

(5) 井原西鶴は浮世草子と呼ばれる小説で、現実の世相や風俗を背景に、人びとが愛欲や金銭に執着しながら、みずからの才覚で生き抜く姿を描き、文学に新しい世界をひらいた。
(6) 儒学は、幕藩体制の社会における人びとの役割を説いてさかんになった。とくに朱子学の思想は大義名分論を基礎に、上下の身分秩序を重視し、礼節を尊ぶことから、封建社会を維持するための教学として幕府や藩に重んじられた。
(7) 儒学の発達は、合理的で現実的な考え方という点で他の学問にも大きな影響を与えた。新井白石は『読史余論』を著し、独自の歴史の見方を展開した。国文学の研究もこの時代からはじまり『万葉集』を研究した契沖は、多くの実例によって和歌を道徳的に解釈しようとする従来の説を批判した。
(8) 自然科学では本草学や農学・医学など実用的な学問が発達し、貝原益軒の『大和本草』や宮崎安貞の『農業全書』などが広く利用された。また、測量や商売取引などの必要から和算が発達した。

 これらを400字でまとめたい。

<野澤の解答例>
 17世紀後半、幕政が安定して経済がめざましく発展すると、天下の台所といわれた大坂など上方を中心として、武士や有力町人のみならず、民衆にいたるまで多彩な文化が芽生えた。その特徴は、人間とその社会を現実主義や実証主義でとらえる傾向が強いことであった。現世を「浮き世」とみて、現実そのものを描こうとする浮世草子が井原西鶴によって著された。また近松門左衛門は、義理と人情の板ばさみに悩む人びとの姿を『曽根崎心中』などの脚本として描き、竹本義太夫が語る人形浄瑠璃や、歌舞伎俳優坂田藤十郎らによって演じられ、民衆の共感をよんだ。儒学が幕藩体制の社会における人びとの役割を説いて政治と結びつく一方で、実証を重んじる古典研究や自然科学の学問が発達し、『大和本草』や『農業全書』などが広く利用された。美術では、尾形光琳が俵屋宗達の装飾的な画法を取り入れて琳派をおこすなど、有力町人を中心に洗練された作品が生み出された。 (399字)

2010.4.29

 
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