2010年度 『筑波大学 その1』
【T】645年の大化改新から710年の平城京遷都にいたる国家建設過程について、次の(ア)〜(エ)の語句を用いて論述せよ。解答文中、これらの語句には下線を付せ。ただし、語句使用の順序は自由とする。
(ア)藤原京 (イ)大海人皇子 (ウ)大官大寺 (エ)水城
<考え方>
問われていることは、
ア テーマ:国家建設の過程
イ 時 期:大化改新から平城京遷都まで
である。
これは山川の『詳説日本史』ならP.32から始まる「律令国家の成立」の要点を抜き出せば書ける。その際、流れを導いてくれるのが、(ア)〜(エ)と「大化の改新」、「平城京遷都」の6つの語句だと考えればよい。
時代順に並び替え、国家建設に関係のある語句を拾うと次のようになる。
(1) 大化改新→改新の詔で公地公民制への移行を示し、統一的税制、地方行政組織の整備、王権の拡大、中央集権化の推進。
(2) 水城→白村江の戦いでの敗北を受けての防衛政策の推進→豪族領有民を確認し豪族層の編成→庚午年籍という最初の全国的戸籍の作成(人民の把握)
(3) 大海人皇子→壬申の乱に勝利して天武天皇に。有力中央豪族が没落し強大な権力を掌握。豪族領有民を廃止し、官人の位階や昇進の制度を定めて官僚制の形成を推進。八色の姓を定めて豪族を天皇中心の身分秩序の再編成。
(4) 藤原京→持統天皇は飛鳥浄御原令施行し庚寅年籍を作成し民衆の把握を進める。中央集権国家の象徴となる本格的宮都藤原京に遷都し、有力な王族や中央豪族を集住させる。
(5) 大官大寺→仏教興隆を国家的に推進するとともに律令・国史を編纂を進めた。→律令は文武天皇のもと大宝律令が完成し、律令制度による政治の仕組みもほぼ整った。
(6) 平城京遷都→元明天皇のとき造営され、唐にならった律令国家の組織が整った。
これを400字でまとめればよい。
なお、これでは大官大寺がやや浮いているような気がする。実は実教の教科書には、「大官大寺など大寺院が官寺として建立され、それらの寺では国家の安泰をいのることを重要な使命とした。・・・伊勢神宮が皇祖神を祀るものとして整備されたのもこの時期である。」という記述がある。これを用いて「国家安泰を進めるための国家仏教の役割と天皇権威の高揚」へつなげるのが本来のねらいのように思えるが、ここはこの解説の原則に従って、山川の教科書のみで解答例を作成した。
<野澤の解答例>
大化改新の際に出された改新の詔で、政府は公地公民制への移行を示し、王権の拡大と中央集権の推進を図った。白村江の戦いで敗れた後は、水城を築くなど防衛政策を進める一方で豪族領有民を確認し、最初の全国的戸籍である庚午年籍を作成して人民の把握に着手した。壬申の乱に勝利した大海人皇子は、有力中央豪族の没落もあり、強大な権力を掌握した。天武天皇として即位した彼は豪族領有民を廃止し、八色の姓を定めて豪族を天皇中心の身分秩序に再編成するなど官僚制の形成を進めた。次の持統天皇は庚寅年籍を作成して民衆の把握を進めるとともに、中央集権国家の象徴となる本格的宮都藤原京に遷都し、中央豪族などを集住させた。さらに大官大寺など官寺の大寺院が建立され、仏教興隆が国家的に進められるともに、律令・国史の編纂が行われた。そして文武天皇のもと大宝律令が完成し、元明天皇によって平城京が造営され、律令制度による国家の仕組みが整った。 (400字)
2010.4.21
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