2009年度 『筑波大学 その4』


【W】次の問について、400字以内で解答せよ。 第二次世界大戦後の内外情勢について、次のア〜エの語句を用いて論述せよ。解答文中、これらの語句には下線を付せ。ただし、語句使用の順序は自由とする。

ア サンフランシスコ平和条約  イ レッド・パージ  ウ 松川事件  エ 朝鮮戦争

<考え方>
 指定された用語を見ると、テーマは明らかにわかる。第二次世界大戦後のアメリカによる対日政策の変化、つまり「民主化→逆コース→自由主義陣営としての独立」の流れである。

ア 戦後すぐの非軍事化・民主化政策・労働組合の助長
松川事件などを通して共産党等を中心とする労働運動を押さえ込む
朝鮮戦争勃発とともに警察予備隊で再軍備+レッドパージで共産主義者追放
サンフランシスコ平和条約で独立と同時に日米安全保障条約でアメリカ軍が引き続く駐留

 これを柱として肉付けしたい。問われているのは内外情勢であることに注意して、朝鮮戦争とサンフランシスコ平和条約に引きずられないようバランスを考えたい。山川の『詳説 日本史』から抜き出すと次のような点である。

(1) 戦後、ポツダム宣言に基づいて連合国に占領され、民主化・非軍事化が進められた。
(2) 日本の軍隊を解体・消滅させる、軍や政府首脳など日本の戦争指導者たちをつぎつぎに逮捕し、東京裁判で裁いた。
(3) 財閥・寄生地主制が軍国主義の温床になったとみて、それらの解体を経済民主化の中心課題とした。
(4) 共産党員はじめ政治犯を釈放し、労働組合の結成を助長した。
(5) 国民主権・戦争放棄を明らかにした日本国憲法を制定させた。
(6) 中国内戦で共産党の優勢が明らかになると、日本を西側陣営の東アジアにおける主要友好国にするため、占領政策を転換し、経済復興を強く求めるようになった。
(7) そのため経済安定九原則の実行を指示し、ドッジ=ラインを実施させた。
(8) ドッジ=ラインによる失業者の増大に対する共産党・産別会議・国鉄労組などを中心とする抵抗を、松川事件などを通して押さえ込んだ。
(9) 朝鮮戦争が始まると警察予備隊を新設し、レッドパージを強化して共産主義者の公職・官公庁・民間企業などからの追放を行った。
(10) 朝鮮戦争で日本の戦略的価値を再認識したアメリカは、占領を終わらせて日本を西側陣営に早期に編入しようとする動きを加速させた。
(11) サンフランシスコ平和条約で日本は独立国としての主権を回復した。条約調印を同じ日に、日米安全保障条約が調印され、独立後もアメリカ軍が駐留を続けることになった。

 これを400字以内でまとめる。

<野澤の解答例>
戦後日本はポツダム宣言に基づいて連合国に占領され、民主化・非軍事化が進められた。軍隊が解体されて戦争指導者たちが東京裁判で裁かれる一方、経済民主化のため財閥・寄生地主制の解体が行われ、労働組合の結成が助長された。新たに制定された日本国憲法にも、国民主権・戦争放棄が明記された。しかし中国内戦で共産党の優勢が明らかになると、アメリカは日本を陣営の東アジアにおける主要友好国にするため占領政策を転換し、ドッジ=ラインの実施によって経済の安定化を図る一方で、松川事件などを通して共産主義運動を押さえ込んだ。朝鮮戦争が始まると警察予備隊を新設して再軍備に着手するとともに、レッドパージを強化して共産主義者の追放を行った。日本の戦略的価値を再認識したアメリカは西側陣営への編入を急ぎ、サンフランシスコ平和条約で日本は独立を回復した。しかし同時に日米安全保障条約が調印され、アメリカ軍が駐留を続けることになった。(400字)

2010.4.18

 
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