2018年度『東京大学 その4』


条約改正と敗戦と教育勅語

 

【4】 教育勅語は、1890年に発布されたが、その後も時代の変化に応じて何度か新たな教育勅語が模索された。それに関する次の(1)・(2)の文章を読んで、下記の設問A・Bに答えなさい。

(1) 先帝(孝明天皇)が国を開き、朕が皇統を継ぎ、旧来の悪しき慣習を破り、知識を世界に求め、上下心を一つにして怠らない。ここに開国の国是が確立・一定して、動かすべからざるものとなった。(中略)条約改正の結果として、相手国の臣民が来て、我が統治の下に身を任せる時期もまた目前に迫ってきた。この時にあたり、我が臣民は、相手国の臣民に丁寧・親切に接し、はっきりと大国としての寛容の気風を発揮しなければならない。 『西園寺公望伝』別巻2(大意)

(2) 従来の教育勅語は、天地の公道を示されしものとして、決して謬りにはあらざるも、時勢の推移につれ、国民今後の精神生活の指針たるに適せざるものあるにつき、あらためて平和主義による新日本の建設の根幹となるべき、国民教育の新方針並びに国民の精神生活の新方向を明示し給うごとき詔書をたまわりたきこと。  「教育勅語に関する意見」

設問
A (1)は、日清戦争後に西園寺公望文部大臣が記した勅語の草稿である。西園寺は、どのような状況を危惧し、それにどう対処しようとしたのか。3行(90字)以内で述べなさい。

B (2)は、1946年3月に来日した米国教育使節団に協力するため、日本政府が設けた教育関係者による委員会が準備した報告書である。しかし新たな勅語は実現することなく、1948年6月には国会で教育勅語の排除および失効確認の決議がなされた。そのようになったのはなぜか。日本国憲法との関連に留意しながら、3行(90字)以内で述べなさい。

Aについて
<考え方>

1 求められていること(問われていること)を確認する

ア 西園寺が、日清戦争後にどのような状況が起こることを危惧していたか書く。
イ 西園寺は、その状況にどのように対処しようとしたかを書く。
ウ 90字以内で書く

2 資料の関係する部分を確認する
ア 「先帝(孝明天皇)が国を開き、朕が皇統を継ぎ、旧来の悪しき慣習を破り、知識を世界に求め、上下心を一つにして怠らない。ここに開国の国是が確立・一定して、動かすべからざるものとなった」の「旧来の悪しき慣習を破り、知識を世界に求め」から、
五箇条の誓文を取り上げていることがわかる。「旧来の悪しき慣習」とは攘夷意識であり、「開国の国是が確立・一定して、動かすべからざるものとなった」から開国和親が国是であると強調している。
イ 「条約改正の結果として、相手国の臣民が来て、我が統治の下に身を任せる時期もまた目前に迫ってきた」から、日清戦争直前にイギリスとの間で領事裁判権の撤廃する条約に調印したことは容易に思いつく。
 ここで、重要なことは井上馨による改正交渉の時から、
領事裁判権の撤廃は外国人の内地雑居とセットであったことである。内地雑居が認められるということは、日本人が外国人と接する機会が著しく増加することを意味する。
ウ 内地雑居が認められ、日本人と外国人とが接する機会が著しく増加することから、「我が臣民は、相手国の臣民に丁寧・親切に接し、はっきりと大国としての寛容の気風を発揮しなければならない」と述べているのである。

 まとめると、
ア 五箇条の誓文を取り上げて、攘夷意識=外国人排撃が起こることを戒め、開国和親は国是であると強調している。
イ 当時の状況は、条約改正によって領事裁判権が撤廃されるかわりに内地雑居が認められることで、日本人が外国人と接する機会が著しく増加することが確実であった。
ウ そのため、日本人は大国としての寛容の気風を発揮し、外国人に丁寧・親切に接しなければならないと戒め、大国の国民としての振る舞いを求めている。

 以上を90字でまとめれば良い。

  <条約改正と内地雑居>
 
 この解説を書いた後に気付いたのだが、山川の『詳説日本史B』には、日英通商航海条約で、治外法権の撤廃に成功したことと、内地雑居を認めることは、セットであったことは記されていない。ぼくは、拙著『教科書一冊で解ける東大日本史』でも記したように、「山川の『詳説日本史B』1冊で東大の問題を解く」をスローガンにしているので、これには衝撃を受けた。このページの解説はルール違反ですよね。

 教科書でも実教の『日本史B』には「日清戦争の開戦の直前に日英通商航海条約の調印に成功した。その後、列国とも同様の条約をむすんだ。これにより日本は内地開放(内地雑居)を認める一方、領事裁判権の撤廃、最恵国待遇の双務化、関税率の一部引き上げを実現した。」とはっきりとその関係が記されている。また、山川の教科書でも『新日本史B』には日英通商航海条約は内地雑居が内容にあることが書かれている。
 
 いつもは解説を書くときは、スローガンに則って、『詳説日本史B』の内容を確認しながら解説を書いている。しかし今回は、直前に発行された2冊目の著書である『やりなおし高校日本史』の11時間目で条約改正の流れを記した時、最初に「当初明治政府は(略)欧米の求める内地雑居(日本国内で自由に活動できる権利)を認めるかわりに、領事裁判権で欧米の譲歩を引き出し、関税自主権を実現しようという方針をとっていた(P.275)」と述べた。そのことから、『詳説日本史B』にも、当然記されているという思い込みをしていた。

 『詳説日本史B』では、井上馨の交渉のところで、「日本国内を外国人に開放する(内地雑居)かわりに、領事裁判権を原則として廃棄する改正案が、欧米諸国によって一応了承された」と記している。これが、井上馨の時だけでなく、その後もず~と改正交渉の基本であったことを受験生が理解できていなければ、今回の問題は解けない。『詳説日本史B』を用いる以上、これをしっかりと理解させるのは、指導者の役割だと改めて思った。


Bについて
<考え方>

1 求められていること(問われていること)を確認する

ア 戦後、新たな教育勅語が実現することなく、排除・失効となった理由を書く。
イ 日本国憲法との関連に留意しながら書く。
ウ 90字以内で書く。

2 教科書(山川『詳説日本史B』)の該当する記述を確認する
ア 教育政策はしだいに国家主義重視の方向へと改められていき、1890(明治23)年に発布された教育に関する勅語(教育勅語)によって、
忠君愛国が学校教育の基本であることが強調された。(PP.310~311)
イ 教育制度の自由主義的改革も、
民主化の重要な柱の一つであった。GHQは、1945(昭和20)年10月には、教科書の不適当な記述の削除と軍国主義的な教員の追放(教職追放)を指示し、つづいて修身・日本歴史・地理の授業が一時禁止された。ついでアメリカ教育使節団の勧告により、1947(昭和22)年、教育の機会均等や男女共学の原則をうたった教育基本法が制定され、義務教育が6年から9年に延長された。(PP.373~374)
ウ 日本国憲法として1946(昭和21)年11月3日に公布され、1947(昭和22)年5月3日から施行された。
新憲法は、主権在民・平和主義・基本的人権の尊重の3原則を明らかにした画期的なものであった。国民が直接選挙する国会を「国権の最高機関」とする一方、天皇は政治的権力をもたない「日本国民統合の象徴」となった(象徴天皇制)。(PP.375~376)
 
まとめると
ア 教育勅語は、忠君愛国を教育の基本であると強調するものであった。
イ GHQによって、民主化の重要な柱の一つとして教育制度の自由主義的改革が行われた。アメリカ教育使節団の勧告により、1947年に、教育の機会均等や男女共学の原則をうたった教育基本法が制定された。
ウ 日本国憲法には主権在民が明らかにされており、天皇は政治的権力を持たない「日本国民統合の象徴」と位置づけられた。

 以上を90字以内でまとめれば良い。

 <実教『日本史B』の教育勅語・教育基本法・日本国憲法に関する記述

 実教『日本史B』の記述は以下のとおり。
教育勅語については
「学制における啓蒙主義的な教育目標も国家主義重視へとかわり、1890年には忠君愛国思想を説く教育勅語が出された。教育勅語は、国民教育の大原則となったのみでなく、思想や宗教の自由も制約するものとなった。」(P.269)

教育基本法については
「1946年に来日したアメリカ教育使節団の勧告を受け、翌年、教育基本法・学校教育法が制定された。教育基本法は、教育勅語にかわり、日本国憲法の精神に立脚して「個人の尊厳を重んじ、真理と平和を希求する人間の育成」をめざす教育の理念を示し、他の教育法令の根拠法となった」(P.328) 


<野澤の解答例>
A条約改正によって外国人の内地雑居が認められることで、外国人排撃の気風が起こることを危惧し、五箇条の誓文を根拠に開国和親は国是であると強調して、大国の国民としての振る舞いを求めた。(90字)
B教育勅語は、教育の基本理念を忠君愛国とするものであったが、日本国憲法には主権在民、象徴天皇制が明記されており、民主化政策の中で新たな教育の指標として、教育基本法が制定されたから。 (90字)

実教の教科書記述に基づいた解答例
B国家主義的な忠君愛国を説いた教育勅語に代わる新たな指標として教育基本法が制定され、日本国憲法の精神に立脚した、個人の尊厳を重んじる人間の育成をめざすという教育理念が示されたから。(90字)
(こちらの方が良いですね)

 
<参考>
駿台予備校
A西園寺は、日清戦争勝利による国民の過剰な自信や排他的国粋主義を危惧した。それ故、内地雑居が迫る中、国家主義的教育を転換し、文明国として外国人と対等に向き合える国民の育成を図った。(90字)
B日本国憲法は条規に反する法律や詔勅を認めていない。忠君愛国を説く教育勅語は主権在君に基づき、日本国憲法が保障する基本的人権を損なう上に、民主的救育理念を掲げる教育基本法に反した。(90字)

河合塾
A外国人に内地雑居を認めたため、西園寺は、排外意識や言論・文化などの違いから生じる混乱を危惧し、教育により日本人が外国人に対し大国としての寛容な姿勢でのぞむ意識を育てようとした。(89字)
B日本国憲法は、国民主権を定め、天皇を日本国民統合の象徴として、その統治権を否定した。さらに新憲法の精神を反映させた民主主義的な教育理念にもとづく教育基本法が制定されたから。(87字)

代々木ゼミナール
A条約改正に伴う内地雑居により国民の外国人との接触機会が増えると予想された。西園寺は日清戦争後の偏狭な国家主義に陥りがちな状況を危惧し、列国民と対等に社交する国民性の必要を説いた。(90字)
B日本国憲法では主権在民と象徴天皇制が規定され、法規としての詔勅も否定された。そのなかで忠君愛国を基本とする教育勅語は、日本国憲法下での教育の民主化の精神とは相容れないものだった。(90字)

東進
A条約改正により外国人の内地雑居が決定されたが、三国干渉への反感から攘夷運動の再度の激化が危惧されたため、開国和親などの国是を想起させ、天皇の権威によって秩序の維持を図ろうとした。(90字)
B米国教育使節団に軍国主義的として否定された、忠君愛国を理念とする教育勅語は、主権在民を原則とし、天皇を国民の象徴と位置づけた、日本国憲法の精神に基づく教育基本法に反するとされた。(90字)



2018.3.18
2018.3.24「条約改正と内地雑居」を加筆
2018.3.25「実教の教科書記述に基づく解答例」を加筆

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