【3】 1825年、江戸幕府は異国船打払令(無二念打払令)を出した。この前後の出来事に関して述べた、次の(1)~(5)の文章を読んで、下記の設問A・Bに答えなさい。
(1) 1823年、水戸藩領の漁師らは、太平洋岸の沖合でイギリスの捕鯨船に遭遇した。彼らは、その際に密かに交易をおこなったとの嫌疑を受け、水戸藩の役人により処罰された。
(2) 1824年、イギリス捕鯨船の乗組員が、常陸の大津浜に上陸した。幕府および水戸藩は、この事件への対応に迫われた。
(3) この異国船打払令を将軍が裁可するにあたり、幕府老中は、近海に出没する異国の漁船については、格別の防備は不要であるとの見解を、将軍に説明していた。
(4) 異国船打払令と同時に、幕府は関連する法令も出した。それは、海上で廻船や漁船が異国の船と「親しみ候」事態について、あらためて厳禁する趣旨のものであった。
(5) 1810年から会津藩に課されていた江戸湾の防備は1820年に免除され、同じく白河藩による防備は1823年に免除された。以後、江戸湾の防備は、浦賀奉行および房総代官配下の役人が担当する体制に縮小され、1825年以後になっても拡充されることがなかった。
設 問
A 異国船打払いを命じる法令を出したにもかかわらず(5)のように沿岸防備を強化しなかった幕府の姿勢は、異国船に対するどのような認識にもとづいたものか。2行(60字)以内で説明しなさい。
B 異国船打払令と同時に(4)の法令も出されたことから、幕府の政策にはどのような意図があったと考えられるか。3行(90字)以内で述べなさい。
Aについて
<考え方>
1 求められていること(問われていること)を確認する
ア 幕府が異国船打払令を出したにも関わらず沿岸防備を強化しなかった理由を書く
イ アの原因となった幕府の異国船に対する認識について書く
ウ 60字以内で書く
2 資料の内容と関係する教科書の記述を照らしあわせる。
ア 資料(1)から、異国船打払令が出される2年前に漁師が水戸藩から処罰された理由は、遭遇したイギリスの捕鯨船と密かに交易を行ったという嫌疑であった。
イ 資料(2)から、異国船打払令が出される前年に起こった事件で、幕府・水戸藩が問題としたのは、イギリス捕鯨船の乗組員との間に具体的な衝突があったからではなく、上陸したという事実、つまり、日本人と接触する可能性に対してであった。
ウ 資料(3)に、「老中は、近海に出没する異国の漁船については、格別の防備は不要であるとの見解」を、将軍に説明していたと書かれていることから、老中が想定している異国船とは、対応のための防備を強化する必要のない漁船であり、軍船ではなかったことがわかる。
まとめると、
ア 異国船打払令が出される直前に、日本人と接触があったり、危惧された異国船とは、いずれも捕鯨船であった。
イ 異国船打払令が出された時、幕府が打ち払う対象として想定していた異国船とは、近海に出没する捕鯨船のような漁船であり、軍船ではなかった。
ウ そのため、幕府は軍事的脅威を感じておらず、特に沿岸防備を強化する必要はないと考えていた。
以上を60字でまとめれば良い。
Bについて
<考え方>
1 求められている(問われている)ことを確認する。
ア 異国船打払令を出した幕府の政策の意図について書く。
イ 異国船打払令と同時に出された関連する法令(資料(4))の内容から考えて書く。
ウ 90字以内で書く。
2 資料の内容と関係する教科書の記述を照らしあわせる。
ア 資料(4)の内容は、異国船打払令と同時に出された法令は、海上で廻船や漁船が異国の船と親しくする事態を、あらためて厳禁するというものであった。
イ 「あらためて」であるから、それ以前に出されていた日本人と外国人の接触を厳禁した法令を確認する。
→教科書(山川『詳説日本史B』)には
活発な海外貿易も幕藩体制が固まるにつれて、日本人の海外渡航や貿易に制限が加えられるようになった。その理由の第1は、キリスト教の禁教政策にある。理由の第2は、幕府が貿易の利益を独占するためで、貿易に関係している西国の大名が富強になることを恐れて貿易を幕府の統制下におこうとした。(P.178~179)
ウ 資料(1)から、漁師らは「密かに交易をおこなったとの嫌疑」で処罰されている。
エ 資料(2)から、幕府は外国人が上陸して日本人と接触することを危惧していた。
まとめると
ア 異国船打払令は、無条件に外国船を撃退することで、海上で廻船や漁船が異国の船と接触したり、外国人が上陸して日本人と接触したりすることを防ぐことために発布された。
イ その目的は、キリスト教の禁令政策と、日本人が幕府の許可なく外国と交易することを改めて厳禁するためであった。
以上を90字以内でまとめれば良い。
<野澤の解答例>
A日本近海に出没していた外国船は、捕鯨船のような漁船であり、軍船ではなかったため、幕府は軍事的脅威を感じていなかった。(59字)
B異国船打払令は、無条件に外国船を撃退することで日本船が外国船と遭遇することを防ぎ、外国人と日本人との接触を阻止して、キリスト教の禁令を徹底し、交易の機会を与えないことを意図した。(90字)
ここで、ちょっとひっかかったのは、ぼく自身が『教科書一冊で解ける東大日本史』のなかでも取り上げた、東大の2016年の第3問である。
東大は、この問題で大船禁止令は、本来、大名が貿易によって富強化することを防ぐための施策ではなかった。つまり、幕府による貿易独占のためではなかったことを導きださせている。とすると、目的はキリスト教の禁令の徹底だけで交易は関係ないのかと、ちょっと思った。
しかし、資料(1)で漁師らは「密かに交易をおこなったとの嫌疑」で処罰されていること。そして、その2016年度の第3問で、「幕末の役人は、外洋航海が可能な洋式軍艦の建造が推進されることで、大名が海外渡航したり、貿易したりするのではないかと危惧した」ことを導きださせていることから、この時代は、やはり交易を防ぐ目的があったと判断した。
ところで、異国船打払令の目的について、教科書には次のように記されている。
その後もイギリス船・アメリカ船が日本近海に出没したため、大名に命じて全国各地の海岸線に台場を設け大砲を備えさせた。幕府は、船員と住民との衝突などを回避するため、異国船に薪水・食糧を供給して帰国させる方針をとっていたが、1825(文政8)年、異国船打払令(無二念打払令)を出し、外国船を撃退するよう命じた。従来の四つの窓口で結ばれた外交秩序の外側に、新たにロシア・イギリスのような武力をともなう列強を外敵として想定した。 (山川『詳説日本史B』 P236)
しかし、今回、東大が資料をもとに受験生に導き出させた結論は、異国船打払令が想定していた外国船とは漁船であり、軍事的脅威を感じてのことではなかったであった。
くやしいけど「さすがは東大!」だと、またしても思った。
<参考>
駿台予備校
A異国船は、侵略の意志のない捕鯨船などと認識していたので、海防に伴う諸藩と領民の疲弊を避けるため沿岸防備に消極的だった。(60字)
B幕府は、異国船の接近がもたらす密貿易や略奪行為やキリスト教の布教を警戒するとともに、民衆が海禁政策に疑問を持つことを危惧した。そのため、西洋人と日本の民衆との接触の遮断を図った。(90字)
河合塾
A異国船来航の実態は、捕鯨船による薪水・食糧の補給や密貿易などであり、幕府にとって軍事的脅威にならないと認識していた。(59字)
B外敵の侵入を阻止するとともに、異国人と日本人の接触を禁止することで密貿易を防止して貿易統制を強化し、さらに禁教政策を徹底して、幕府が祖法とした鎖国体制の維持をはかろうとした。(88字)
代々木ゼミナール
A来航する異国船は主に漁業やそれに伴う交易および食料・薪水の要求が目的であり、日本に対する武力攻撃の意図はないと考えた。(59字)
B異国船との貿易が幕府直轄の長崎に限定されていたにもかかわらず、日本近海に現れる異国船と日本船との密貿易が見られたため、幕府はそれを禁止することで祖法である鎖国体制の維持を図った。(90字)
東進
A異国船は薪水・食糧の獲得や交易を目的とする民間船であり、日露関係の改善から、軍艦は江戸湾に来航しないという認識だった。(60字)
Bキリスト教の流入を防止し、幕府が貿易を統制する体制を維持するため、外国船を威嚇して、外国人と日本の民衆が接点をもち、商取引や国内外の情報交換などをおこなう事態を回避しようとした。(90字)
2018.3.9
2018.3.18に感想を加筆
|