2018年度『東京大学 その2』


室町幕府の財源の特徴
 
 

【2】 次の(1)~(5)の文章を読んで、下記の設問A・Bに答えなさい。

(1) 『建武式目』第6条は、治安の悪化による土倉の荒廃を問題視し、人々が安心して暮らせるようにするためには、それらの再興が急務であるとうたっている。

(2) 室町幕府は、南北朝合体の翌年である1393年に土倉役・酒屋役の恒常的な課税を開始した。土倉役は質物数を、酒屋役は酒壷数を基準に賦課され、幕府の年中行事費用のうち年間6000貫文がここから支出された。

(3) 正長・嘉吉の土一揆は、土倉に預けた質物を奪い返したり、借用証書を焼くなどの実力行使におよんだ。嘉古の土一揆は、それに加え、室町幕府に対して徳政令の発布も求めた。

(4) 室町幕府は、1441年、嘉吉の土一揆の要求をうけて徳政令を発布したが、この徳政令は幕府に深刻な財政難をもたらした。

(5) 室町幕府は、1455年の賀茂祭の費用を「去年冬徳政十分の一、諸人進上分」によってまかなった。

設 問
A 室町幕府の財政にはどのような特徴があるか。その所在地との関係に注目して2行(60字)以内で述べなさい。

B 徳政令の発布が室町幕府に深刻な財政難をもたらしたのはなぜか。また、それを打開するために、幕府はどのような方策をとったか。あわせて3行(90字)以内で述べなさい。

Aについて
<考え方>
1 問われている(求められている)ことを確認する。
ア 「室町幕府の財政の特徴」について書く
イ 「その所在地との関係に注目」して書く
ウ 60字以内で書く

2 資料の内容と関係する教科書の記述を照らしあわせる。
ア 幕府の財源に関する資料は(1)と(2)である。
(1)から『建武式目』(1336)という幕府再興の方針を示したもののなかで、土倉の再興を急務とし、(2)から、その土倉役・酒屋役という高利貸し(金融業者)に恒常的な課税を開始したこと。そして、そこからの現金収入(貨幣での収入)がかなりの高額であったことがうかがえる。
 ここから
→①
土倉・酒屋という高利貸し(金融業者)からの営業税による貨幣収入が大きな財源であった。

一方、教科書(『詳説日本史B』山川出版社)には、P126に

幕府の財政は、御料所からの収入、守護の分担金、地頭・御家人に対する賦課金などでまかなわれた。その他、京都で高利貸を営む土倉や酒屋に土倉役・酒屋役を課し、交通の要所に関所を設けて関銭・津料を徴収した。また、幕府の保護下で広く金融活動をおこなっていた京都五山の僧侶にも課税した。さらに日明貿易による利益や、のちには分一銭なども幕府の財源となった。また内裏の造営など国家的行事の際には、守護を通して全国的に段銭や棟別銭を賦課することもあった。

と記されている。

問われていることは、
イ 「その所在地との関係に注目」して書く
ことなので、幕府が京都にあることと関係するものでなくてはならない。
 そうなると関係するのは、

京都で高利貸を営む土倉や酒屋に土倉役・酒屋役を課し、交通の要所に関所を設けて関銭・津料を徴収した。また、幕府の保護下で広く金融活動をおこなっていた京都五山の僧侶にも課税した。

の部分である。
→②
交通の要所での関銭・津料という通行税を徴収し、金融活動をおこなっていた京都五山へも課税した。

また、P.138にも
 
貨幣経済の発達は金融業者の活動をうながした。当時、酒屋などの富裕な商工業者は、土倉と呼ばれた高利貸業を兼ねるものが多く、幕府は、これらの土倉・酒屋を保護・統制するとともに、営業税を徴収した。

と書かれている。つまりは、直轄領からの収入ではなく、
流通経済の発達を利用して、そこからの現金(貨幣)収入が財源であったのである。これを60字以内でまとめれば良い。


Bについて
<考え方>
1 問われている(求められている)ことを確認する。
ア 「徳政令の発布が室町幕府に深刻な財政難をもたらした理由」を書く
イ 「それ=財政難を打開するために、幕府がとった方策」を書く
ウ 90字以内で書く

2 資料の内容と関係する教科書の記述を照らしあわせる。
 資料(3)には、一揆勢が質物を奪い返したり、借用証書を焼くなどの実力行使(使徳政)におよび、さらに幕府に徳政令発布を要求したこと。(4)では、嘉吉の土一揆の要求をうけて徳政令を発布したが、徳政令発布は幕府に深刻な財政難をもたらしたという、設問の内容が記されている。  
そして資料(5)で、幕府は財政難を「去年冬徳政十分の一、諸人進上分」によってまかなったことが述べられている。

 
徳政令で、債権を無効にされたことで金融業を営んでいた土倉・酒屋の経営が苦しくなったことは容易に想像できる。
土倉等の経営が苦しくなれば、設問Aで導いたように彼らからの貨幣収入を大きな財源としていた幕府が深刻な財政難に陥るのは当然である。
 その打開策として幕府がとった「
徳政十分の一、諸人進上」の意味を記した教科書の記述が、P134の

 幕府の徳政令の中には、債権額・債務額の10分の1ないしは5分の1の手数料(分一銭)を幕府に納入することを条件に、債権の保護または債務の破棄を認めた分一徳政令も多かった。

である。つまり、
徳政令を出す際に、あらかじめ債権者・債務者のうち幕府に手数料を納入した方の権利を認めた徳政令を出したのである。これらを90字以内でまとめればよい。


<野澤の解答例>
A産業の発達した京都で金融業を営む土倉・酒屋への営業税や、交通の要所での通行税など、流通経済からの貨幣収入を財源とした。(60字)

B徳政令で債権を失った土倉・酒屋の経営は打撃を受け、税収が落ち込んだ。幕府は徳政令発布に際して債権者・債務者のうち手数料を納入した方の権利を認める分一徳政令によって収入を確保した。(90字)



<参考>
駿台予備校
A幕府は御料所からの収入が少なく貨幣経済に依存し、五山の献金や京都の商工業者から徴収する酒屋役や土倉役などを財源とした。(60字)
B一揆の発生に伴う徳政令の発布は、酒屋や土倉の衰退を促し、幕府の減収を招いた。そのため幕府は、債務者や債権者が分一銭を納めれば債務破棄・徳政免除を行う分一徳政令を出して財源とした。(90字)
河合塾
A室町幕府は経済の中心地である京都を所在地としたため、金融活動を行う土倉や酒屋に課税するなど、貨幣収入を主な財源とした。(60字)
B債務破棄を認める徳政令により土倉が経営難となったため、土倉役などに依存していた幕府は収入減となった。幕府は分一徳政令を出して債権・債務額の一定割合にあたる分一銭を財源とした。(88字)
東進
A商工案や貨幣経済の先進都市である京都に所在した室町幕府は、金融業者への税や通行税など銭貨として徴収する収入に依存した。(60字)
B徳政令の発布によって多額の債権を破棄された上倉・酒屋の経営が悪化し、土倉役・酒屋役は減収となった。そのため、徳政令の発布の際には利害の絡む人びとから分一銭を徴収するようになった。(90字)
代々木ゼミナール
A安定した財源に乏しい幕府は、京都の内外で金融業を奨励しつつ、朝廷から吸収した課税権を公認した有力土倉を通じて行使した。(60字)
B土一揆による私徳政や徳政令は債権の放棄を迫ったため、金融業界が混乱して税収が低迷した。幕府は、徳政に際して金融業者の債権を個別に保護し、分一銭を徴収することで収入の減少を補った。(89字)


2018.3.1

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