【4】1880年代以降における経済発展と工業労働者の賃金について、以下の設問A・Bに答えなさい。
設 問
A 図1は1885~1899年における女性工業労働者の実質賃金を表している。また、下記の文章は、横山源之助が1899年刊行の著書に記したものである。
この時期における女性工業労働者の賃金の上昇は何によってもたらされ、どのような社会的影響を及ぼしたか。図と文章を参考に、2行(60字)以内で述べなさい。
都会はもちろん、近年、地方においても下女(住み込みの女性使用人)が不足していることを頻繁に聞く。(中略)この状況について、下女を雇う人々は、
「近頃の下女は生意気でどうしようもない、まったく、下女のくせに」とつぶいている。(中略)機織工女も、製糸工女も、下女の賃金とくらべれば非常に
高い賃金を受け取っている。年配の女性は別として、以前ならば下女として雇われていた若い女性が、皆、工場に向かうのは当然である。(中略)
下女の不足とは、ある意味、工業の進歩を意味するものであり、また、下女の社会的地位を高めるものであって、私は深くこれを喜びたい。
『日本之下層社会』(現代語訳)
B 図2は1920~2003年における男性工業労働者の実質賃金を表している。1930年代における賃金の下降と、1960年代における急上昇は
何によってもたらされたか。4行(120字)以内で述べなさい。
<考え方>
Aについて
求められているのは、
(1) 1885~1899年における女性工業労働者の賃金が上昇した理由を書く
(2) 女性工業労働者の賃金上昇がもたらした社会的影響を書く
(3) 図(グラフ)と横山源之助の文章を参考にした書く
(4) 2行(60字)以内で書く
1885年から1899年の日本の産業については教科書(山川『詳説日本史B』)のP.299から始まる「近代産業の発展」の記述そのままである。
要約すれば、
ア 1886年から89年、鉄道・紡績で会社設立ブームが起こった。(P.299)
イ 紡績業については、機械制生産が急増し、1890年には、綿糸の生産量が輸入量を上まわり、日清戦争頃から中国・朝鮮への綿糸輸出が急増し、1897年には輸出量が輸入量を上まわった。(P.301)
ウ 製糸業は外貨獲得の役割を担い、器械製糸の小工場が長野県・山梨県などに次々と生まれ、輸出増にともない、日清戦争後には器械製糸の生産高が座繰製糸を上まわり、絹織物業でも輸出向け羽二重生産がさかんになって、力織機も導入された。(P.302)
エ 工場制工業が勃興するにつれて、賃金労働者が増加してきた。当時の工場労働者の大半は繊維産業が占めており、その大部分は女性であった。
次に、横山源之助の文章から
オ 機織工女も、製糸工女も、下女の賃金とくらべれば非常に高い賃金を受け取っている。
カ 下女の不足とは、ある意味、工業の進歩を意味するものであり、また、下女の社会的地位を高めるもの
以上のことから、
ア 紡績業・製糸業といった繊維産業で工場制工業が勃興し、輸出の増加によって工場労働者が不足するようになった。
イ 繊維産業での工場労働者の大部分は女性であった。
ウ 労働者不足から、工場労働者の実質賃金が上昇した。その結果、若い女性が工場で働くことを望むようになり、下女が不足するようになった。
エ そのため、工業の進歩が下女の社会的地位をも高めることになった(下女も工女もともに女性労働者であり、女性労働者の社会的地位が高まったといえる)。
これを60字でまとめる。
Bについて
求められているのは、
(1) 男性工業労働者の1930年代における賃金の下降の理由を書く
(2) 1960年代における急上昇の理由を書く
(3) 120字で書く
これは、与えられた資料(グラフ)からの読み取りの要素はないので、関連する教科書の記述をもとに組み立てる。
まず1930年代の賃金の下降の理由について
ア 浜口雄幸内閣は、財政を緊縮して物価の引下げをはかり、産業の合理化を推進して国際競争力の強化をめざした。
イ 金解禁を実施したちょうどその頃、ニューヨークウォール街の株価暴落が世界恐慌に発展していたため、日本経済は解禁による不況とあわせて二重の打撃を受け、昭和恐慌におちいった。
ウ 輸出は大きく減少し、正貨は大量に海外に流出して、企業の操業短縮、倒産があいつぎ、産業合理化によって賃金引下げ、人員整理がおこなわれて失業者が増大した。(P.343)
エ 広田弘毅内閣の大軍備拡張予算をきっかけに、財政は軍事支出を中心に急速に膨張し、軍需物資の輸入の急増は国際収支の危機を招いた。
オ 日中戦争の拡大につれて軍事費は年々急増し、膨張財政があいつぐ増税をもたらし、それでも膨大な歳出をまかなえずに多額の赤字公債が発行され、紙幣増発によるインフレーションが進行していった。(P.354~355)
カ 総力戦の遂行に向けて労働者を全面的に動員するため、労資一体で国策に協力する産業報国会の結成も進められた。
※教科書にも「日本労働総同盟と改めて労資協調主義からしだいに階級闘争主義に転換した」(P.330)と記されているように、1920年以降の労働組合は、労働者の待遇改善に強い姿勢で取り組むものであったことを考えると、産業報国会の結成が労働者から賃上げ闘争の機会を奪うことになったことは、推察できると考える。(後述参照)
以上から、
ア 昭和恐慌下での産業合理化によって賃金引下げが行われたこと
イ 軍事費の増大を多額の赤字公債でまかなったためインフレが進行したことで、実質賃金が下降したこと
ウ 日中戦争遂行に向けて産業報国会が結成され、賃金が抑圧されたままとなった(賃上げを要求できなかった)こと
が導ける。
次に1960年代における賃金の急上昇について
これはもう、高度経済成長でしょう。
ア 日本経済は技術革新による経済成長へと舵を切り、1955~73年の年平均経済成長率は10%を上まわった。(P.394)
イ 工業部門では、技術革新による労働生産性の向上、若年層を中心とする労働者不足、「春闘」方式を導入した労働運動の展開などによって、労働者の賃金は大幅に上昇した。(P.395)
以上から、
高度経済成長で、若年層を中心とする男性労働者が不足したことや、春闘方式を導入した労働運動の展開などにより労働者の賃金は大幅に上昇した。
これを、120字でまとめる
<野澤の解答例>
A繊維産業が、輸出増加とともに発展して工場労働者不足となり、賃金が上昇した。その結果、女性労働者の社会的地位が高まった。(60字)
B1930年代は、昭和恐慌下での産業合理化や産業報国会結成で賃金が抑えられた上に、軍事費増大によるインフレで実質賃金が下降した。1960年代は、高度経済成長で男性労働者が不足したことや、春闘方式を導入した労働運動の展開などによって賃金が急上昇した。(120字)
<参考>
河合塾
A繊維産業の急速な発展による女性労働者不足により賃金が上昇した。これにより 、賃金労働者である 女性の社会的地位が向上した。
B1930 年代の実質賃金下降は、昭和恐慌以降の産業合理化や景気回復に伴うインフレによりもたらされた。 1960 年代の賃金上昇は、高度経済成長下で繰り返された設備投資を伴う重化学工業の発展による労働者不足と、春闘などの労働組合運動によりもたらされた。
駿台
A日清戦後経営を背景とする、製糸業・紡績の発展や労働力不足・ストライキ発生が賃金を上昇させ、女性の地位も向上した。
B1930年代、金解禁と世界恐慌を要因する昭和恐慌下での産業合理化で賃金は下降した。1960年代、高度経済成長下で所得倍増計画が推進され、技術革新・生産性向上・貿易黒字・日本型経営確立と共に春闘などの労働運動や労働力不足を要因に賃金は上昇した。
Bについて。
ぼくは設問文に「実質賃金」と書かれていることに注目したい。インフレが進行すれば、相対的に実質賃金は低下する。駿台には本当に失礼だとは思うが、軍事費増大によるインフレの影響に触れることは不可欠だと考える。
実を言うと、産業報国会に思いが至ったのは、1960年代の賃金急上昇の理由に「春闘方式を導入した労働運動の展開」という答案を書いた時だった。「1960年代、労働組合による運動が賃金上昇に貢献したのであれば、1930年代の労働組合は何をしていたのか」と思った瞬間、産業報国会に思い至り、1930年代の部分の答案を書き直した。
2016.3.20