2015年度 『東京大学 その4』

大正時代の都市化とマスメディアが社会に与えた影響
  


【4】第一次世界大戦中から、日本では都市化とマス=メディアの発展が顕著になり、海外からの情報と思想の流入も、大量で急速になった。こうした変化が何をもたらしたかに関して、下記の設問A・Bに答えなさい。

設 問
A 上のような社会の変化は、政治のしくみをどのように変えていったか。大正時代の終わりまでについて、 3行以内で説明しなさい。

B 上のような社会の変化は、国際的な性格をも った社会運動を生んだ。その内容と、 この動きに対する当時の政権の政策について、 3行以内で説明しなさい


<考え方>

Aについて。
求められているのは、
(1) 第一次世界大戦中から大正時代の終わりまでについて書く。
(2) 政治のしくみがどのように変わったのかを書く。
(3) 政治のしくみの変化に、都市化、マス=メディアの発達、海外からの大量で急速な情報と思想の流入が与えた影響を踏まえて書く。
(4) 90字で書く。

ことである。

 大正時代における大きな政治のしくみの変化を問われているのだから、受験生はまず結論がひらめいたと思う。1925(大正14)年の男性普通選挙法の成立である。

 教科書(山川『詳説日本史』P.309~310)には「1924(大正13)年、貴族院や官僚の勢力を背景に清浦奎吾が超然内閣を組織すると、憲政会・立憲政友会・革新倶楽部の3党は、これに反対して憲政擁護運動をおこした(第二次護憲運動)。(略)護憲三派による加藤高明内閣は、(略)、1925(大正14)年にいわゆる普通選挙法を成立させた。これにより満25歳以上の男子が衆議院議員の選挙権を持つ
普通選挙制が実現し、有権者はいっきょに4倍に増えた。」とある。ここから、「憲政の常道」とよばれる政党内閣の慣例が始まった

 教科書(山川『詳説日本史』P.310脚注)には、「
第一次護憲運動から男性普通選挙制の成立までの時代思潮や社会運動を、「大正デモクラシー」とよぶことが多い。その具体的内容は、市民的自由(言論・出版・集会)の拡大と大衆の政治参加(政党政治・普選論)の進展にまとめられる。」と書かれている。

 第一次護憲運動とは、「藩閥勢力が政権独占をくわだてているという非難の声があがり、野党勢力やジャーナリストに、商工業者や都市民衆も加わって起こった運動」(教科書P.296より要約)である。
 ここにもう、マス=メディア(ジャーナリスト・出版)、都市化(都市民衆・大衆)という言葉はでている。

 大正デモクラシーの理論的支柱が「民本主義と天皇機関説」であることは、ここで説明する必要はないと思う。
 吉野作造の民本主義は頻出だが、基本的概念は「主権の所在を問わず、
普通選挙制にもとづく政党内閣が下層階級の経済的不平等を是正する」(P.300)というものである。

  どのように変わったかを書くのだから、「
によってからのように変わった」と述べなければならない。
  ここまでで、
の部分については、「マス=メディアの発達によって民本主義などの政治思想が普及し、都市民衆を中心に政治参加への要求が強まった政治における政党の影響力・役割は格段に強くなり、「憲政の常道」とよばれる政党内閣の慣例が始まり、男子普通選挙制が導入された。」となる。

 これに
の部分を加える。これは、桂太郎や清浦奎吾内閣についての説明を用いて、「藩閥・官僚の勢力を背景とする内閣」でよいと思う。

 以上を、90字でまとめればよい。


Bについて。
求められているのは、
(1) 第一次世界大戦中から大正時代の終わりまでについて書く。
(2) 都市化、マス=メディアの発達、海外からの大量で急速な情報と思想の流入によって生まれた国際的な性格をも った社会運動について書く。
(3) その動きに対する当時の政権の政策について書く。
(4) 90字で書く。

ことである。 

 求められているのは、
国際的な性格をもった運動であるから、ここは共産主義でよいと考える。

 教科書には
「ロシア革命の影響で社会運動全体における共産主義の影響力が著しく増大し、1922(大正11)年7月には、堺や山川均らによって日本共産党がコミンテルンの支部として非合法のうちに結成された。」(P.308)

「「国体」の改革や私有財産制度の否認を目的とする結社の組織者と参加者を処罰することを定めた治安維持法が成立した。制定当初の目的は、日ソ国交樹立(1925年)による共産主義思想の波及を防ぎ、普通選挙法の成立(同年)による労働者階級の政治的影響力の拡大に備えることにあった。」(P.310)

 とある。これを90字でまとめればよい。


<野澤の解答例> 
A民本主義などの政治思想が普及し、都市民衆を中心に政治参加への要求が強まった。政党の影響力が増し、藩閥・官僚中心の内閣にかわって政党内閣の慣例が始まり、男子普通選挙制が導入された。
(90字)
B日本共産党がコミンテルンの支部として非合法で結成されるなど、社会運動における共産主義の影響力が著しく増大した。これに対して政府は治安維持法を成立させ、結社の組織者らを処罰した。
(89字)


2015.3.8

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