2013年度 『東京大学 その1』

ワカタケル大王の時代の持つ意味

 2013年3月上旬に勤務校で、周辺の高校の生徒との合同学習会があった。その中で、日本史の講座を担当させてもらった。
 授業の中で、今年の第1問を利用した。その時、使用したプレゼンのスライドの一部を掲載して、解説にかえさせてもらいたい。


【1】 次の(1)~(4)の文章を読んで、下記の設問に答えなさい。

(1) 『宋書』には、478年に倭王武が宋に遣使し、周辺の国を征服したことを述べ、「使持節都督倭・新羅・任那・加羅・秦韓・慕韓六国諸軍事安東大将軍倭王」に任じられたと記す。こののち推古朝の遣隋使まで中国への遣使は見られない。
(2) 埼玉県の稲荷山古墳から出土した鉄剣の銘文には、オワケの臣が先祖以来大王に奉仕し、ワカタケル大王が「天下を治める」のをたすけたと記す。熊本県の江田船山古墳出土の鉄刀銘にも「治天下ワカタケル大王」が見える。前者の銘文は471年に記されたとする説が有力である。
(3) 『日本書紀』には、雄略天皇を「大泊瀬幼武〔おおはつせわかたける〕天皇」と記している。「記紀」は、雄略天皇をきわめて残忍な人物として描き、中央の葛城氏や地方の吉備氏を攻略した伝承を記している。
(4) 475年に百済は高句麗に攻められ、王が戦死していったん滅び、そののち都を南に移した。この戦乱で多くの王族とともに百済の人々が倭に渡来した。さまざまな技術が渡来人によって伝えられ、ヤマト政権は彼らを部に組織した。

設問
5世紀後半のワカタケル大王の時代は、古代国家成立の過程でどのような意味を持っていたか。宋の皇帝に官職を求める国際的な立場と「治天下大王」という国内での称号の相違に留意しながら、6行以内で説明しなさい。


   


   


  


   


   


   




2013.3.10

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