2011年度 『東京大学 その4』

近代の職工の男女比率
  

【4】次のグラフは、1945年以前に日本(植民地を除く)の工場で働いていた職工について、男女別の人数の変化を示したものである。このグラフを見ながら、下記の設問A・Bに答えなさい。




設問
A 1920年代まで女性の数が男性を上回っているが、これはどのような事情によると考えられるか。当時の産業構造に留意して、3行以内で説明しなさい。
B 男性の数は1910年代と30年代に急激に増加している。それぞれの増加の背景を、あわせて3行以内で説明しなさい。

<考え方>
Aについて。
(1) 1920年代まで
(2) 女性の数が男性を上回っている
(3) どのような事情によると考えられるか。
(4) 当時の産業構造に留意する。
(5) 3行(90字)以内


で説明する。

 これは「繊維工場は女工が占めていた」ことが理由じゃないか、とピンときたのではないか。山川の『詳説 日本史』のP.282〜283には次のように書かれている。

 工場制工業が勃興するにつれて、賃金労働者が増加してきた。当時の工場労働者の大半は繊維産業が占めており、その大部分は女性であった。女性労働者(女工、または工女とよばれた)の多くは、苦しい家計をたすけるために出稼ぎにきた小作農家などの子女たちで、賃金前借りや寄宿舎制度で工場に縛りつけられ、劣悪な労働環境のもと、欧米よりはるかに低い賃金で長時間の労働に従事していた。(中略)重工業の男子熟練工の数はまだ限られており、工場以外では鉱山業や運輸業で多数の男性労働者が働いていた。

 
そのままずばりでしょう。これを90字以内でまとめればよい。

Bについて。
(1) 男性の数が
(2) 1910年代に急激に増加している。
(3) 1930年代に急激に増加している。
(4) それぞれの増加の
(5)
背景
(6) 3行(90字)以内


で説明する。

 Aの問いがヒントとなっている。1920年代まで女性が多かったのは、重工業に従事する男性の数が少なかったことが理由なのだから、この2つの時代は、重工業に従事する男子が増えたわけである。
 ということは、この2つの時期に、重化学工業が発展した理由を考えればよいことになる。

 グラフをよく見ると、1910年代に男性が増えた時期は1914年から1919年の間、つまり第一次世界大戦の大戦景気の時期である。
 この時期の産業について、山川の『詳説 日本史』のP.300にはこう書かれている。

 電気機械の国産化も進み、その結果、重化学工業は工業生産額のうち30%の比重を占めるようになった。工業の躍進によって、工業(工場)生産額は農業生産額を追い越し、日本は工業国となった。工業労働者数は100万人を超え、重化学工業の発展を反映して男性労働者の増加が著しかった。

 あたりですね。

 次に1930年代である。グラフを見ると1934年から1939年の間に一気に増えている。この時期の産業について、山川の『詳説 日本史』のP.325には次のように書かれている。

 とくに、軍需と保護政策とに支えられて重化学工業がめざましく発達し、金属・機械・化学工業の合計の生産額は、1933(昭和8)年には繊維工業を上まわり、さらに1938(昭和13)年には工業生産額全体の過半を占め、産業構造が軽工業中心から重化学工業中心へと変化した。鉄鋼業では、八幡製鉄所を中心に大合同がおこなわれて国策会社日本製鉄会社が生まれ、鋼材の自給が達成された。自動車工業や化学工業では、日産・日窒などの新興財閥が台頭し、軍と結びついて満州・朝鮮へも進出していった。また既成財閥も、重化学工業部門の増強に積極的になった。

 
なぜ軍需が増大したかは、1930年代の情勢を考えれば分かる。満州事変、日中戦争である。したがって、「1930年代は満州事変、日中戦争にともなう」軍需と言葉を足した上で、上の内容をまとめればよい。

 この2つをあわせて90字以内で記せば答案は作成できる。気をつけなければならないのは、問われているのは理由ではなく
背景である。
 

<野澤の解答例>
A当時は繊維産業が産業構造の中心であり、工場労働者の大部分は出稼ぎにきた女性であったのに対し、重工業の男子熟練工の数はまだ限られており、男性の多くは鉱山業や運輸業で働いていた。 (88字)

B1910年代は第一次世界大戦による大戦景気のもとで重化学工業が発展し、1930年代は満州事変、日中戦争にともなう軍需の増大と保護政策に支えられて、産業構造が重化学工業中心へと変化した。(89字)


2011.3.10

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