2010年度 『東京大学 その4』  

【4】明治政府は、条約改正交渉を担当した井上馨を中心として、法律・美術・社交・生活習慣といった幅広い分野での欧化を促進した。これに対して、1887年頃には政治と文化の両面で、欧化主義への反発が方向の違いをふくみながらあらわれた。このような反発の内容と背景を、下の年表を参考にしながら、6行以内で説明しなさい。
1887年 2月 民友社(徳富蘇峰ら)、雑誌『国民之友』を創刊
  10月 東京美術学校設立
  10〜12月 三大事件建白運動
1888年 4月 政教社(三宅雪嶺・志賀重昂ら)、雑誌『日本人』を創刊

<考え方>
 「出たな妖怪!」(笑)

 これがこの問題を見た時のぼくの第一声である。
徳富蘇峰友社+『国之友』→平(的欧化)主義」
三宅雪嶺=政教社+『日本人』→国粋(保存)主義」
これらは、毎年どこかの入試問題で出ている。(『近代編前期10 明治文化1』)

さて、問われているのは、 
@ 井上馨を中心として、法律・美術・社交・生活習慣といった分野での欧化を促進した。
A 1887年頃には政治と文化の両面で、その欧化主義への反発がおこった。
B
ただしその方向には違いも含まれていた。(これを見落とさないこと!!)
C その反発の内容と背景について書く。
D 180字

 
これは見た瞬間、第3問とは逆のイメージを持ったのではないか。「書ける!」と。しかも問題文もとても親切である。
「法律・美術・社交・生活習慣といった幅広い分野での欧化への反発」
ア 法律→三大事件建白運動
イ 美術→東京美術学校設立
ウ 社交(井上馨の鹿鳴館外交)・生活習慣→民友社(平民的欧化主義)・政教社(国粋保存主義)

(そもそも東大の問題文は毎年、親切である。)
 

 アから順に見ていこう。三大事件建白運動が、井上馨の条約改正交渉の失敗を機に起こったことは知っての通り。三大事件とは、地租軽減・言論集会の自由・外交失策回復であり、主導したのは後藤象二郎や星亨ら民権派である。条約交渉失敗の理由については、教科書(山川『詳説日本史』)に、「領事裁判権の撤廃に関しては、欧米同様の法典を編纂し、外国人を被告とする裁判には半数以上の外国人判事を採用するという条件がついていた。政府内部にもこれらの条件は国家主権の侵害であるという批判がおこり、井上が交渉促進のためにとった極端な欧化主義に対する反発とあいまって、改正交渉に反対する政府内外の声が強くなり」と書かれている。
 ちなみに政府内で国家主権の侵害であると批判したのがボアソナードであるのは、知ってのとおり。つまり、政府内外(民権派)からの批判の方向は国家主権の確保という点である。

 イについて。教科書(山川『詳説日本史』)には「はじめ工部美術学校をひらいて、外国人教師に西洋美術を教授させた。しかし、アメリカ人フェノロサや岡倉天心の影響のもと、伝統美術育成の態度に転じて工部美術学校を閉鎖し、1887(明治20)年には西洋美術を除外した東京美術学校を設立した。・・・政府が伝統美術の保護に傾いた一因には、当時、ヨーロッパにおいて日本画が高い評価を受けていたこともあった。」とある。
 つまり、美術の世界からの西洋文化の模倣を排して伝統文化を守ろうという方向である。

 ウについて。「徳富蘇峰=民友社→平(的欧化)主義」と「三宅雪嶺=政教社→国粋(保存)主義」に関して教科書(山川『詳説日本史』)には次のようにある。
徳富蘇峰=民友社→平(的欧化)主義
 「政府が条約改正のためにおこなった欧化政策を貴族的欧化主義として批判して、一般国民の生活の向上と自由を拡大するための平民的欧化主義の必要を説いた。」(『詳説日本史』)
三宅雪嶺=政教社→国粋(保存)主義
 「一般国民の幸福を重視しながらも、その前提として国家の独立や国民性を重視した。」
 つまり、徳富蘇峰は、欧化そのものに反対しているのではないが、井上馨の条約改正のための上からの模倣に反対し、国民(平民)大衆の立場、下からの西欧文化の受容と日本の近代化の推進を主張した。
 それに対して三宅雪嶺たちは一般国民の幸福とともに、国家主権や日本人の独自性を重視し、国粋主義を唱えた。

 なお、この背景として教科書には以下のように記されている。
「文明開化期の啓蒙主義や西洋思想導入の動きは、自由民権運動に継承されたが、明治10年代後半の朝鮮問題を機に、民権論者のなかにも国権論をとなえるものがあらわれた。欧化主義と国権論の対立は、条約改正問題をきっかけにさらに鋭くなり、平民的欧化主義をとなえる徳富蘇峰らと近代的民族主義を主張する三宅雪嶺・志賀重昂・陸羯南らとの間で論争がくり広げられた。」

 ここまでをまとめる。ここで留意しなければならないのは、 「B ただしその方向には違いも含まれていた。」点を明確に打ち出すことである。

背景:条約改正交渉問題をきっかけとして、政府の欧化政策を表面的な模倣であるという批判が起こった。
法:三大事件建白運動を展開した民権派や政府内部からは、国家主権の確保をめざそうとする方向があった。
美術:岡倉天心らによって西洋美術を除外した東京美術学校が設立されたように、西洋文化の模倣を排して伝統文化を守ろうという方向があった。
社交・生活習慣:
徳富蘇峰の民友社のような、条約改正のための政府による西欧文化の模倣に反対し、国民大衆の立場からの西欧文化の受容と日本の近代化を推進しようという方向があった。
三宅雪嶺の政教社のような、一般国民の幸福と国家主権日本人の独自性を重視する国粋主義という方向があった。

 これを180字でまとめたい。
 
<野澤の解答例>
条約改正交渉問題をきっかけとして、政府の欧化政策は表面的な模倣であるという批判が起こった。三大事件建白運動を展開した民権派などが国家主権の確保を主張する一方で、岡倉天心らは西洋美術を排して伝統文化を守ろうし、三宅雪嶺も日本人の独自性を重視する国粋主義を唱えた。また、徳富蘇峰は平民的欧化を主張し、大衆の立場から西欧文化の受容と日本の近代化を推進すべきだとした。(180字) 


2010.8.16

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