2010年度 『東京大学 その2』  

【2】次の(1)〜(3)の文章を読んで、下記の設問A〜Cに答えなさい。

(1) 次の表は、平安末〜鎌倉時代における荘園・公領の年貢がどのような物品で納められていたかを、畿内・関東・九州地方について集計したものである。

  

(2) 次の史料は、1290年に若狭国太良荘から荘園領主である京都の東寺に納められた年貢の送り状である。

 進上する太良御庄年貢代銭の送文の事
   合わせて十五貫文てへり(注)。但し百文別に一斗一升の定め。
 右、運上するところ件〔くだん〕の如〔ごと〕し。
   正応三年九月二十五日      公文(花押)
                  御使(花押)
   (注) 合計15貫文の意。

(3) 摂津国兵庫北関の関銭台帳である『兵庫北関入船納帳』には、1445年の約1年間に同関を通過した、塩10万600余石、材木3万7000余石、米2万4000余石をはじめとする莫大な物資が記録されているが、そのほとんどは商品として運ばれたものであった。

設問
A 畿内・関東・九州の年貢品目には、それぞれどのような地域的特色が認められるか。(1)の表から読みとれるところを2行以内で述べなさい。
B (1)の年貢品目は、鎌倉時代後期に大きく変化したが、その変化とはどのようなものであったか。(2)の史料を参考にして1行以内で説明しなさい。
C 室町時代に(3)のような大量の商品が発生した理由を、(1)(2)の内容をふまえて2行以内で説明しなさい。

<考え方>
Aについて
問われているのは

@ (1)の表から読み取れる
A 畿内・関東・九州の年貢品目の
B 地域的特徴
C 2行(60字)

である。

  

 一目して気づくのは、畿内と九州はまず米が多い。それに対して関東は絹・麻・綿が多い。畿内や九州にも絹や麻はある(筑前・肥後など)が、問われているのは地域的特徴なので、畿内、九州は米、関東は絹・麻・綿である。
 加えて畿内では油が多いことがわかる。

 畿内・九州は米中心であり、さらに畿内では油もつくられている。関東は絹や麻などの繊維生産が盛んである。(50字)

 読み取りだけならこうなる。問題はここからである。ぼくとしては結構悩んだ。問題文には(2)と(3)は1290年(鎌倉時代後半)、1445年(室町中期)と具体的な時期が記されているが、(1)はただ「平安末〜鎌倉時代」だけである。

 山川の「詳説 日本史」にはp.101〜102に「蒙古襲来の前後から、農業の発展もみられた。畿内や西日本一帯では麦を裏作とする二毛作が普及していった。(中略)荏胡麻(灯油の原料)などが栽培され、絹布や麻布などが織られた。」とある。平安末から鎌倉時代という幅が広い時期区分の設問に対して、鎌倉後半の内容を用いてよいのか。ここは素直に「西日本は水田で米。東日本は畑で繊維。畿内は灯油の原料の油」とするのが出題の意図に沿うのではないか。その場合は

T 水田の多い畿内・九州は米中心であり、畿内では灯油の原料として油も作られた。畑の多い関東は絹など繊維の生産が盛んである。(59字)

となる。その一方で、これは基本的知識として二毛作、荏胡麻を問うていると判断するならば、

U 二毛作の普及した畿内・九州では米が、畿内では荏胡麻を原料とした油が、関東では衣料材料である絹など繊維が盛んに生産された。(60字)

となる。無難なのはUであろう。しかし続くBの問に「(1)の年貢品目は、鎌倉時代後期に大きく変化した」とある。ということは、(1)の設問の前提は、鎌倉時代中期以前と考えられる。それを踏まえてぼくとしてはTを解答例としたい。


Bについて
問われているのは、
@ (1)の年貢品目(Aの設問の答え)が鎌倉時代後期にどのように変化したか。
A (2)の史料を参考にして論じる。
B 1行(30字)

 (2)の史料の冒頭にいきなり、「年貢代銭」とある。つまり年貢品目は、米や油や繊維製品など、地域の特色に応じた様々な現物から「銭十五貫文」という貨幣の納入へと変化した。これを30字で要約する。


Cについて
 史料にある「兵庫北関入船納帳」の文字を見て、「どこかで見た覚えがある。」と思った人は教科書をかなり読み込んでいる。山川の『詳説日本史』p.128の脚注に出ている。もっともその記述も、本文の「(室町時代に)地方産業がさかんになると遠隔地取引も活発になり、海・川・陸の交通路が発達し、廻船の往来もひんぱんになり・・・」の補足として、いかに多くの船が瀬戸内海の各港からさまざまな荷を運んで兵庫港に出入りしたかを記しているに過ぎない。あくまでも与えられている史料と、問われていることをしっかり読み取れれば、答えを導くことができる。いかにも東大らしい問題である。

さて問われているのは、
@ 室町時代に兵庫港へ荷揚げされる大量の商品が発生した理由を書く。
A その際、(1)・(2)の内容=「鎌倉時代中期までは、年貢は地域の特色に応じた様々な物品の現物納であった。」、「鎌倉時代後期には年貢は銭納されるようになった。」を踏まえて書く。
B 2行(60字)

 整理する。
ア 兵庫港だから京都など畿内の都市への窓口である。
イ そこへ陸揚げされた物品は、ほとんどが商品であり、年貢ではなかった。なぜなら年貢は銭納されるようになっていたから。
ウ では本来年貢であった地方の特産品は、どこで換金されたのか?それはそれぞれの地方である。
エ そのため従来は年貢として畿内へ送られていた物品が、商品として運ばれるようになった。どこを目指してか?
オ 京都など畿内の都市=大消費地を目指して

これを60字でまとめればよい。(理由なので、できればぼくとしては文末を「〜ため。」「〜から。」にしたい。)
 

<野澤の解答例>
A 水田の多い畿内・九州は米中心であり、畿内では灯油の原料として油も作られた。畑の多い関東は絹など繊維の生産が盛んであった。(60字) 

B 地域の特色に応じた様々な現物から、貨幣の納入へと変化した。
(29字)

C 年貢の銭納化にともない、従来年貢物であった物品は地方で換金され、京都など畿内の都市へ商品として運ばれるようになったため。
(60字)

2010.7.17

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