2010年度 『東京大学 その1』  

【1】次の(1)〜(4)の文章を読んで、下記の設問に答えなさい。

(1) 大宝律令の完成により官僚制が整備され、官人たちは位階や官職に応じて給与を得た。地方には中央から貴族が国司として派遣され、『万葉集』には、上級貴族の家柄である大伴家持が、越中守として任地で詠んだ和歌がみえる。
(2) 10世紀には、地方支配のあり方や、官人の昇進と給与の仕組みが変質し、中下級貴族は収入の多い地方官になることを望んだ。特定の中央官職で一定の勤続年数に達すると、国司(受領)に任じられる慣例も生まれた。
(3) 藤原道長の日記には、諸国の受領たちからの贈り物が度々みれるが、彼らは摂関家などに家司(家の経営にあたる職員)として仕えた。豊かな国々の受領は、このような家司がほぼ独占的に任じられ、その手元には多くの富が蓄えられた。
(4) 清和源氏の源満仲と子息の頼光・頼信は摂関家に侍として仕え、その警護にあたるとともに、受領にも任じられて物資を提供した。頼信が平忠常の乱を制圧したことなどから、やがて東国に源氏の勢力が広まっていった。

設問
10・11世紀の摂関政治期、中下級貴族は上級貴族とどのような関係を結ぶようになったのか。その背景の奈良時代からの変化にもふれながら、6行以内で述べなさい。

<考え方>
問われているのは、

@ いつ=10・11世紀の摂関政治期
A 何が=中下級貴族
B 何と=上級貴族
C 何を=どのような関係を結ぶようになったのか。
D 条件=その背景の奈良時代からの変化にもふれて。

山川『詳説日本史』のP.62に

とくに摂政・関白は官吏の任免権に深くかかわっていたため、中・下級の貴族たちは摂関家やこれと結ぶ上級貴族に隷属するようになり、やがて昇進の順序や限度は、家柄や外戚関係によってほぼ決まってしまうようになった。そのなかで中・下級の貴族は、摂関家などにとり入り、経済的に有利な地位となっていた国司になることを求めた。

とある。

 ほとんどこれでよいのではないか。まとめると

@ 摂関政治期に
A 中下級貴族は
B 摂関家やこれと結ぶ上級貴族に、
C 官吏の任免権を握られていたために、経済的に有利な地位となっていた国司(受領)になるために、摂関家などに取り入るようになった。
  それは昇進の順序や限度も家柄などによってほぼ決まってしまうようになっていたからである。

 これと資料文とを比較してみる。

 資料文の(3)と(4)は、まさにこのことを具体的に表している。摂関家に「家司」や「侍」として仕えたことによって、受領に任じられ、富を蓄えるとともに、摂関家に物資を提供している。

 こうなると残りは、Dの「その背景の奈良時代からの変化にもふれて」どう記すかである。
 TOPページでも述べているが、東大の問題は「与えられている資料に過不足がない。提示されている資料のすべてに意味がある。」つまり、残りの資料文(1)と(2)が、この部分を導くためのものだと推測したい。

(1)から読み取れることは、
 奈良時代は、国司には上級貴族の家柄である大伴家持が任じられ、地方に赴任している。官人たちは律令にもとづく官僚制によって、位階や官職に応じて給与を得た。
→上級貴族の子弟であっても、国司などの地方官を経て、功績や能力に応じて中央政界で昇進した。(唐朝に見られるような、本来の官僚制の姿)

(2)から読み取れることは、
摂関期には、
A 官人の昇進と給与の仕組みが変質
B 中下級貴族が「収入の多い地方官」=国司(受領)になることを希望
C  特定の中央官職で一定の勤続年数に達すると、国司(受領)に任じられる慣例も生まれた。
→奈良時代の「地方官→中央官職」の逆→昇進のシステムの形式化→つまり山川の教科書にある「昇進の順序や限度は、家柄や外戚関係によってほぼ決まってしまうようになった。 である。

 国司(受領)が「収入の多い」官職として中下級貴族から望まれるようになったのは、山川の『詳説日本史』のP.69〜70に

(10世紀には)租や庸・調を取り立てて、国家財政を維持することはできなくなった。こうした事態に直面した政府は、国司に一定額の税の納入を請け負わせ、そのかわりに一国内の統治をゆだねるように方針を転換した。・・・任国に赴任する国司の最上級者(ふつうは守)は、政府に対する徴税請負人の性格を強めて受領とよばれるようになり、巨利を得ようとする強欲な者が多かった・・・。このころは、私財を出して朝廷の儀式や寺社の造営などを請け負い、その代償として官職に任じてもらう成功や、同様にして収入の多い官職に再任してもらう重任が行われるようになった。

とある。

 成功、重任はあくまでも公的なものであったし、国司が巨利を得ることも認められていたことであったが、資料の(3)、(4)から、彼らが官吏の任免権(人事権)を握っていた上級貴族に私的に奉仕するようになっていたことがわかる

 問われていることは、「どのような関係を結ぶようになったのか」なので、キメはこの「官吏の任免権を握っていた上級貴族に私的の奉仕するようになった。」へ持って行きたい。

 これを180字でまとめる。

<野澤の解答例>
 奈良時代は、上級貴族の家柄であっても、功績や能力に応じて昇進し、位階や官職に応じて給与を得ていた。しかし摂関政治期には昇進の順序や限度は、家柄や外戚関係によってほぼ決まってしまうようになった。そのため中下級貴族は、徴税請負人化して経済的に有利な地位となっていた受領になることを求め、官吏の任免権を握っていた摂関家など上級貴族に、私的に奉仕するようになった。 (178字)


2010.5.15

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