2011年度 『京都大学 その2』

江戸初期の法度

【W】(2)江戸時代初期、幕府が出した主要な法度をあげ、それぞれ、その対象と内容について述べよ。(200字以内)

<考え方>
 問われているのは、

(1) 江戸時代初期に
(2) 幕府が出した主要な法度
(3) それぞれの対象と
(4) その内容


である。

 ぼくの通史編では、『近世編2 統制機構/封建的身分制度と負担』のところである。5 大名統制、6 朝廷統制、7 寺社統制、8 農民統制とあるページだが、気を付けたい。問われているのは法度である。田畑永代売買禁令や分地制限令は、いわゆる御触書であって法度ではない。法度は支配者身分に対して出されたものである。
 どこまでを江戸初期とするかであるが、教科書に「ここまで」と書かれているわけではない。とはいえ、4代将軍家綱の「文治政治の展開」からは教科書の章も代わり、安定期と言えるので長くて3代家光の寛永期までである。

 そうすると武家諸法度元和令寛永令禁中並公家諸法度寺院法度の4つとなる。

 教科書には続いて、諸宗寺院法度と諸社禰宜神主法度が書かれており、この2つは同じ年(1665年)に出されている。慶安事件が1651年だから、これはもう文治政治の時代に入っていて、解答の範囲外であるが、これらが西暦何年発布かまで覚えていなかったかもしれない。しかし、そもそも寺院法度は崇伝が宗派ごとに出していたのだが、これは彼の個人技でもっていたため、彼が死ぬと残された者は何が何だかわからなかったので、諸宗共通の諸宗寺院法度を出した。そのことから、まぁ、初期ではないだろうと推理したい。

 しかし、まだ問題がある。武家諸法度元和令禁中並公家諸法度寺院法度はすべて金地院崇伝が1615年(寺院法度はそれ以降)につくっており、この3つとするのか、家光の寛永令まで入れるのかである。

 ぼくも判断に迷ったのだが、「初期」というのをそのまま解釈して、金地院崇伝くくりで、元和令禁中並公家諸法度寺院法度の3つで答案を作成することにした。
(もっとも寛永令の参勤交代に触れても減点にはならないとぼくは考える。)

 それでは、これらについて関係するところを、山川の『詳説 日本史』から抜き出してみたい。

 ところがである! 山川の『詳説 日本史』には、この3つに関する具体的記述はほとんどない!
 
 武家諸法度元和令については、「幕府は大坂の役直後の1615(元和元)年に、大名の居城を一つに限り(一国一城令)、さらに武家諸法度を制定して大名をきびしく統制した。(略)また1619(元和5)年、福島正則を武家諸法度違反で改易するなど、法度を遵守させるとともに、長く功績のあった外様大名でも処分できる将軍の力量を示した。」
 禁中並公家諸法度は、「1615(元和元)年、禁中並公家諸法度を制定して、朝廷統制の基準を示した。(中略)幕府は天皇・朝廷がみずから権力をふるったり、他大名に利用されることのないよう、天皇や公家の生活・行動を規制する体制をとった。」
 寺院法度は、「幕府は仏教諸宗の本山ともなる門跡寺院に皇子や宮宅・摂家の子弟が入寺したことから、門跡を朝廷の一員とみなして統制した。また、寺院法度を出し、宗派ごとに本山・本寺の地位を保障して末寺を組織させ(本末制度)、(以下略)」

だけである。
結果としてだが、山川の教科書で勉強している現役受験生には、予想外に厳しい問題となった。
 
 一方、ぼくが阪大の解説を作成するのに用いている実教の教科書は、それなりに繋げば答案になるように書かれている。

 しかし何と言っても素晴らしいのは三省堂の『日本史B』である。まるでこの問題の答案を書くための教科書ではないかと思いたくなるぐらい1ページ以内に見事にまとまっている。

 幕府は、大名統制の基本法として武家諸法度を出した。これは、武芸だけでなく学問をみがくことなど、大名としての心がまえを示すとともに、城の新築や無断の修理を禁止し、また大名間の婚姻には幕府の許可を必要とすることや、違反した大名は取りつぶすことなどがさだめられ、幕府への反抗を防いだ。(中略)1615(元和元)年には禁中並公家諸法度を出し、天皇の生活や公家の家業・席次にいたるまで規制をくわえ、学問を学ぶことを天皇のもっともだいじな職務とし、天皇や朝廷を政治から遠ざけようとした。また、幕府の推薦がなければ武家に官位をあたえないようにし、天皇と大名が直接むすびつかないようにした。(中略)寺院については、1615(元和元)年ごろから宗派ごとに諸宗諸本山法度を出して寺院を序列づけ、本山・末寺の制(本末制度)をととのえさせ、僧侶としての心得や儀式の行い方、衣服にいたるまでこまかく指示した。
 
 これはもう出来上がっている!
 一橋の問題解説のトップページに「最もシェアの広い山川出版社のもので書ける答案を作成」と書いたので、少し気が引けるのだが、まぁ、以前「コラム」にも書いた「山川神話に振り回されるな」という意味も込めて、無理をせずこの三省堂の教科書の記述を200字に要約して答案を作成することにした。ただし、「諸宗諸本山法度」については、教科書での使用頻度を考えて寺院法度を用いた。

<野澤の解答例>
江戸幕府は、大名には武家諸法度を出し、文武に励むなど大名としての心構えを示すとともに、城の新築や無断修理を禁止し、大名間の婚姻には許可を必要とすることなどを定めた。朝廷に対しては禁中並公家諸法度を出し、朝廷統制の基準を示し、天皇の生活や公家の家業・席次まで規制を加えた。寺院については、寺院法度を出して寺院を序列づけ、本末制度を整えさせて、僧侶の心得や儀式の行い方、衣服にいたるまで細かく指示した。(200字)


2011.2.27


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