2011年度 『京都大学 その1』

平安時代の浄土教の広まり

【W】(1)平安時代における浄土教の発展・広まりについて、段階的かつ具体的に述べよ。(200字以内)

<考え方>
問われていることは、
(1) 平安時代 の
(2) 浄土教の発展・広まり について
(3) 段階的かつ具体的 に述べる
ことである。

 段階的にとあるわけだから、時系列で述べると考えてよい。
 普通の受験生が試験会場で問題用紙の空白に、思いつく順にメモをしたら、大体次のようになるのではないか。

A 布教者:平安中期=空也→源信、平安末期=聖が地方へ伝播
B 背景:社会不安と末法思想の流行
C 受け入れ側:平安中期=貴族を中心に庶民まで、平安末期=地方豪族まで
D 代表的な遺物・遺品:平安中期=『往生要集』・『往生伝』・平等院鳳凰堂・来迎図(浄土教美術)、平安末期=中尊寺金色堂、今様の極楽歌

 これで書けるのではないか。少し考えるのは、浄土教とはどのような教えであるかを述べるかどうかである。もちろん「阿弥陀仏を信仰して極楽浄土へ往生することを願う教え」であるが、広まった背景として触れておく方がよいとぼくは考える。

 それでは関係するところを山川の『詳説 日本史』から抜き出してみたい。(P.66〜68及びP.86)
(1) 平安時代中期、現世の不安から逃れようとする浄土教が流行
(2) 浄土教は、阿弥陀仏を信仰し、来世において極楽浄土に往生することを願う教え
(3) 10世紀半ばに空也が京都の市で説いた。
(4) ついで源信が『往生要集』を著して念仏往生の教えを説くと、貴族をはじめ庶民の間にも広まった。
(5) この信仰は、末法思想によっていっそう強められた。
(6) 盗賊や乱闘が多くなり、災厄がしきりにおこった世情が、末法の世の姿によくあてはまると考えられた。
(7) 多くの往生伝がつくられた。
(8) 浄土教の流行にともない多くの浄土教美術がつくられた。→藤原道長の法成寺、藤原頼通の平等院鳳凰堂などの阿弥陀堂、平等院鳳凰堂の本尊である阿弥陀如来像、来迎図もさかんに描かれた。
(9) 院政期には、聖や上人とよばれた民間の布教者によって、浄土教の思想は全国に広がった。
(10) 奥州藤原氏の建てた中尊寺金色堂や、陸奥の白水阿弥陀堂、九州豊後の富貴寺大堂など、地方豪族のつくった阿弥陀堂や浄土教美術の秀作が各地に残されている。

 これを200字以内に要約すればよい。

<野澤の解答例>
平安時代中期、社会不安と末法思想が広まる中、阿弥陀仏を信仰し、極楽浄土に往生することを願う浄土教が流行してきた。空也が京都で念仏を勧め、源信が『往生要集』を著すと貴族をはじめ庶民にも普及し、平等院鳳凰堂に代表される阿弥陀堂建築や来迎図など、多くの浄土教美術や往生伝がつくられた。院政期には聖などの民間布教者によって全国に広がり、奥州藤原氏による中尊寺金色堂など、地方豪族による浄土教美術がつくられた。(200字)


2011.2.27


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