2010年度 『京都大学 その2』

足利義満の時代

【W】(2)足利義満の時代はどのような時代であったか。いくつかの側面から論ぜよ。 (200字以内)

<考え方>
 「側面って何だ?」
 政治的側面、経済的側面、文化的側面、外向的側面・・・。確かに義満はいろいろやっている。しかし、設問をよく読むと「足利義満の政策をいくつかの側面から」とは書いていない。「どのような時代であったか」を論ずるのである。
 解答の主語はあくまで、「時代」であって足利義満ではない(もっとも足利義満を主語にした答案で、減点になるかどうかはぼくにはわからないが。)

 
ただ答案を考えていく上では、義満がしたことを箇条書きにしていくのが分かりやすい。山川の教科書から抜き出すと次のようになる。

(1)南北朝の合体を実現し、内乱に終止符を打った。
(2)全国の商工業の中心で政権の所在地であった京都の市政権や、諸国に課する段銭の徴収権など、それまで朝廷が保持していた権限を幕府の直轄下におき、全国的な統一政権としての幕府を確立した。
(3)義満は将軍を辞して太政大臣にのぼり、出家したのちも幕府や朝廷に対し実権をふるった。
(4)義満は、動乱のなかで強大になった守護の統制をはかり、外様の有力守護を攻め滅ぼして、その勢力の削減につとめた。
(5)幕府の機構も義満の時代にほぼ整った。
(6)義満は、明に使者を派遣して国交を開き、明を中心とする国際秩序のなかで朝貢形式の貿易を行った。
(7)新たに建国された朝鮮からも通交と倭寇の禁圧を求められ、義満はこれに応じて国交を開き、活発に貿易が行われた。
(8)幕府が京都におかれたことや東アジアとの活発な交流にともなって、武家文化と公家文化、大陸文化と伝統文化の融合がすすんだ。
(9)義満は、京都の北山に壮麗な山荘をつくった。そこに建てられた金閣の建築様式は、伝統的な寝殿造風と禅宗寺院の禅宗様を折衷したものであり、時代の特徴をよくあらわしており、北山文化とよばれる。
(10)南宋の官寺の制にならった五山・十刹の制を完成させ、臨済宗に保護と統制を加えた。五山文学は義満のころ最盛期を迎えた。五山僧は、幕府の政治・外交顧問として活躍したり、五山版を出版するなど、中国文化の普及に大きな役割を果たした。
(11)義満の保護を受けた観阿弥・世阿弥父子が、芸術性の高い猿楽能を大成した。

 いや〜、たくさんある。この中から選んで
200字以内に要約しなければならない。

<野澤の解答例>
南北朝が合一され、有力守護の勢力が削減されて動乱が終わった。幕府は朝廷が保持していた権限を吸収し、政治機構もほぼ整え、全国的な統一政権の地位を確立した。明を中心とする国際秩序の中で、明との朝貢形式の貿易や朝鮮との交流が活発に行われた。五山の制が完成し、寺社統制が行われる一方、五山文学は最盛期を迎え、中国文化が普及した。他方、伝統的な公家文化と禅の影響を受けた武家文化が融合した北山文化が展開された。(200字)

2010.3.18


参考:駿台予備校の模範解答

参考:河合塾の模範解答


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