2010年度 『京都大学 その1』

推古朝の政策

【W】(1)推古朝の政策とその特徴を、具体例を挙げながら述べよ。 (200字以内)

<考え方>
 これはまた・・・、シンプルだが気をつけなければならない出題である。試験場でこの設問を見たらどう感じるのだろう。まず全員が「やった、書ける!」と思うのではないか。推古朝ということは厩戸王(聖徳太子)の時代である。この時代の政策を箇条書きにすることは、受験生全員ができる。となると勝負を分けるのは、その特徴という部分であろう。それは行われた政策が、どのような背景の中、何を意図して行われたかという関係をしっかり書かなければならないということである。ただ「○○をしました。」だけでは評価されるとは考えにくい。
 山川のP29〜30から、政策を抜き出し、背景や目的を添えて一覧にしてみよう。

(1)国際情勢=中国で隋が南北朝を統一し、高句麗など周辺地域に進出しはじめ、東アジアは激動の時代を迎えた。
(2)国内情勢=蘇我氏が物部氏を滅ぼし、さらに崇峻天皇を暗殺して政治権力を握った。国際的緊張のもとで、蘇我馬子と厩戸王らが協力して国家組織の形成を進めた。
(3)冠位十二階=個人に冠位をあたえることで、氏族単位の王権組織の再編成をはかった。
(4)憲法十七条=豪族たちに国家の官僚としての自覚を求め、仏教を新しい政治理念として重んじさせる。
(5)このような政策は、王権のもとに中央行政機構・地方組織の編成をすすめるものであった。
(6)遣隋使の派遣=対等外交を主張する一方で、先進の制度・思想・文化を摂取しようとした。

 これを200字以内に要約すればよい。

<野澤の解答例>
隋の中国統一による国際的緊張の中で、蘇我馬子と厩戸王が協力して、王権のもとに中央行政組織・地方組織の編成が進められた。内政では冠位十二階を設け、個人に冠位を与えることで氏族単位の王権組織の再編成を図り、憲法十七条を制定して、豪族たちに国家の官僚としての自覚を求めるとともに、仏教を新しい政治理念として重んじさせた。外交では遣隋使を派遣して対等外交を主張する一方で、先進の制度・文化を摂取しようとした。(200字)


 このほか、実教と桐原の教科書では「国家意識の高まりの中、『天皇記』『国記』などの歴史書を編纂させた」こと。また桐原の教科書には遣隋使派遣が「伽耶諸国回復の政策を有利に展開させるためであった」ことが記されている。
 魅力的ではあるが、ここは山川の教科書1冊で書ける解答例にした。


2010.3.18

参考:駿台予備校の模範解答

参考:河合塾の模範解答


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