2007年度 『京都大学 その2』

【W】(2)日本国憲法について、その草案起草から公布に至るまでの、制定過程を史実に即して述べよ。(200字以内)

<考え方>
 これは見事に教科書の丸写しで対応できる。例として山川出版社「詳説 日本史」p352をあげる。

 1945(昭和20)年10月、幣原内閣はGHQに憲法改正を指示され、憲法問題調査委員会(委員長松本烝治)を政府内に設置した。しかし、同委員会作成の改正試案がいぜんとして天皇の統治権を認める保守的なものだったため、GHQは極東委員会の活動がはじまるのを前に、みずから英文の改正草案(マッカーサー草案)を急きょ作成して、1946(昭和21)年2月、日本政府に提示した。政府は、これにやや手を加えて和訳したものを政府原案として発表した。新憲法制定は手続き上、大日本帝国憲法を改正する形式をとり、改正案は衆議院と貴族院で修正可決されたのち、日本国憲法として1946(昭和21)年11月3日に公布され、1947(昭和22)年5月3日から施行された。

 これを200字以内に要約すればよい。

<野澤の解答例>
GHQに憲法改正を指示された幣原内閣は、憲法問題調査委員会を政府内に設置した。しかしその改正案は天皇の統治権を認める保守的なものだったため、GHQは自ら改正案を作成して日本政府に提示し、政府はこれをもとに政府原案を発表した。新憲法制定は手続き上、大日本帝国憲法を改正する形式をとり、衆議院と貴族院で修正可決されたのち、日本国憲法として公布された。(200字)

2007.8.13

参考:駿台予備校の模範解答
幣原内閣がGHQより改憲を示唆され、憲法問題調査委員会を政府内に設置して改正案を作成したが、その改正案は天皇の統治権を残す内容であった。極東委員会発足前の憲法改正をめざすGHQは、それを拒否して改正草案を提示し、幣原内閣はこれをもとに原案を作成した。原案は吉田内閣のもと、帝国議会と枢密院で審議・修正が行われた上、大日本帝国憲法の改正という形式をとって、昭和天皇の名により日本国憲法として公布された。(200字)

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