2006年度 『京都大学 その2』  

 【W】 (2)将軍徳川綱吉のいわゆる元禄時代から,田沼意次が失脚した天明年間にいたるまでの江戸幕府の貨幣政策について述べよ。

<考え方>
 書くべきポイントを整理する。
@徳川綱吉の
元禄時代から田沼意次が失脚した天明年間
までが問われている。
A江戸幕府の貨幣改鋳について書く。
B200字以内で書く。

→貨幣史全体の流れは、テーマ史「貨幣史」を参照して欲しい。そして江戸時代の「近世編4 文治主義の展開」と「近世編7 三大改革」の田沼意次に関する記述を見てもらえればかなり書けるのではないかと思う。

 次の文章は、それぞれぼくの「近世編4 文治主義の展開」、「近世編7 三大改革」からの抜粋である。

 新井白石正徳の治で、元禄小判を改めもとの慶長小判と同質の正徳小判を鋳造した」という文章を丸暗記する!
 あわせてどの教科書にも載っている「金貨成分比の推移」の表で、慶長小判元禄小判正徳小判にチェックを入れて、確認すること。特に元禄小判の改鋳の建議者が勘定吟味役(のち勘定奉行)の荻原重秀であったことは重要。しかし、この貨幣改鋳は、経済の実情を無視したものであり、かえって混乱を招いた。
 荻原重秀が出目という差益を狙って元禄小判を鋳造した時は、確かにインフレとなった。しかし、白石の改革のころには経済の発達により、貨幣の流通量と物資のバランスがマッチするようになっていた。それを無視した貨幣量の削減は当然デフレを招き、深刻な流通危機をもたらすこととなった。
 そのため、次の8代徳川吉宗の享保の改革でも当初は正徳小判と同質の享保小判を鋳造したが、1736年には再び金の含有量を落とした元文小判を鋳造している。(もっとも元文小判鋳造の背景には、貨幣と物資のバランスという面以外にも、銀遣いの上方と金遣いの江戸との間で「銀高金安」といったいわゆる変動相場の問題が、江戸の諸色高の一因であったことを是正しようとしたこともある。)
(「近世編4 文治主義の展開」)

 ではなぜ田沼は金銀の輸入を目指したのか。江戸は金遣い、大坂は銀遣い。実際には変動相場制だったため、「銀高、金安」となり、江戸は大坂に比べて、為替相場の関係でも物価高となっていた。これが享保の改革時の「米価安の諸色高(詳しくはエピソード「米公方」)という世相となる。ではこの一国二通貨という状況をなくせば、少なくとも為替相場の差額で、江戸が物価高になることはなくなるではないか。つまり全国を金遣いにしてしまえばよい。
 そこで登場したのが、南鐐二朱銀(金2朱の価値のある銀貨)など、金遣いを前提とした銀貨だった。しかし、田沼の最大の不幸は、こうした重商主義政策を理解できた人物が、当時幕閣には、ほとんどいなかったことだ。(「近世編7 三大改革」)

これらを整理する。
(1)元禄期:金銀産出量の減少と綱吉の放漫財政によって財政難に陥った幕府は、出目による差益を狙って品位をおとした元禄小判を鋳造した。このことによってインフレとなった。
(2)正徳の治:元禄小判を改めて、もとの慶長小判と同質の正徳小判を鋳造したが、実情を無視したものでデフレを招き、かえって経済の混乱をもたらした。
(3)享保の改革:当初は正徳小判と同質の享保小判を鋳造したが、のちには江戸の物価抑制の意味もあって再び金の含有量を落とした元文小判を鋳造した。
(4)田沼時代(天明期):重商主義政策のもと、貨幣流通量の増加と金銀貨幣の一本化をめざして南鐐二朱銀
がつくられた。

<野澤の解答例>
金銀産出量の減少等で財政難に陥った幕府は元禄時代、出目による差益を狙って品位を落とした元禄小判を鋳造し、インフレとなった。正徳期には、元の慶長小判と同質のものに改めたが、逆に経済混乱を招いた。享保の改革でも当初は正徳期の路線を継承したが、後には江戸の物価統制の意味もあって再び質を落とした貨幣を作った。天明年間には重商主義政策のもと、貨幣流通量の増加と金銀貨幣の一本化をめざして南鐐二朱銀が作られた。(200字)

 現役生が覚えておくべき江戸時代の小判は、「新井白石は正徳の治で、元禄小判を改め、もとの慶長小判と同質の正徳小判を鋳造した」の3つと、幕末の開港時に金銀比価の違いから大量の金が流出するのを防ぐため鋳造された万延小判の4つだというのが、ぼくの考えである。
 浪人生ならば元文小判を知っていてもおかしくはないが、ここでは使用せずに解答例を作成した。

参考:駿台予備校の模範解答
金銀産出量の減少などにより財政難に陥った幕府は、元禄期に出目獲得を目的として品位を落とした元禄金銀を鋳造した。そのためインフレを招き、正徳期には品位をもとの慶長金銀に戻したが、かえってデフレが生じた。享保の改革では当初、正徳期の政策を継承したが、のちに物価統制のため品位・量目を落とした元文金銀を鋳造した。その結果、商品流通が活発化したため、天明期に南鐐二朱銀を発行して貨幣流通量の増加と金銀貨の一本化をめざした。(200字)

2006.10.29

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