2006年度 『京都大学 その1』  
  

 京都大学の問題は、例年大問4つで【T】〜【V】は一般的な記述問題、【W】が論述である。記述問題は答を知っているか否かなので、ここでは取り上げない。論述の【W】の2問のみ取り上げる。

【W】 (1)のちに「三筆」と呼ばれた3人の人物を通して,9世紀前半の政治と文化について述べよ。(句読点を含めて200字以内)

<考え方>
 書くべきポイントを整理する。
@三筆を題材にして書く。
A9世紀前半の
政治と文化について書く。
B200字以内で書く。

→注意しなければならないのは、三筆の文化的位置や評価を書くのではない。つまり、「嵯峨天皇、空海、橘逸勢の3人は唐様とよばれる大陸風の書の名手とされ三筆と尊称された。空海の「風信帖」は・・・」などというのは、完全に的を外している。あくまで問われているのは、彼らの時代の政治と文化である。

三筆を1人ずつまとめていくと、次のようになる。
(1)嵯峨天皇
政治面:薬子の変に際して藤原北家の冬嗣を蔵人頭に任命。検非違使を新設。(ともに令外官) 弘仁格式を編纂して法制を整備するなど律令制の再建をはかった。
文化面:「文章は経国の大業」という唐を模範とし、史書や勅撰漢詩集を編纂、漢詩文の隆盛を導く(弘仁・貞観期は異様に中国かぶれの時代→「平安時代編2 弘仁・貞観文化」参照)

(2)空海:密教を伝え、現世利益を願う貴族の間に受け入れられる。漢詩文にもたけ「性霊集」がある。

(3)橘逸勢:承和の変で失脚。藤原北家による他氏排斥の典型例。失脚させた藤原良房は外戚政策を強め、のちの摂関政治への足がかりを築く。

 これに9世紀前半の弘仁・貞観文化全体の特徴を合わせて記せばよい。

<野澤の解答例>
嵯峨天皇は、薬子の変に際しての蔵人頭や検非違使という令外官を設けたり、弘仁格式を編纂して法制を整備するなど律令制の再建を図る一方で、唐の文化に傾倒し、貴族の間では漢詩文が隆盛し史書が編まれた。天皇の信任を得た藤原北家は、橘逸勢を失脚させるなどの他氏排斥と外戚政策を進め、摂関政治への足がかりを築いた。朝廷で権力闘争が行われる中、空海が唐から伝えた密教が、現世利益を願う貴族の間に受け入れられていった。(200字)

参考:駿台予備校の模範解答
嵯峨天皇は薬子の変を機に令外官の蔵人頭や検非違使を置いて官制を再編し、また弘仁格式の編纂や唐制を範とする宮廷儀式の整備を行い、律令体制の再建を進めた。貴族や官人に漢詩文の教養が求められるなど唐風文化が隆盛する一方、空海が唐から伝えた密教が現世利益を願う貴族層に浸透した。嵯峨天皇の信任を得た藤原北家が台頭し、のちに承和の変で橘逸勢ら有力氏族を排斥して天皇との外戚関係を確保し、摂関政治の基礎を築いた。(200字)


2006.10.22

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