2010年度 『一橋大学 その3』  
                                           

【V】次の文章を読んで下記の問いに答えなさい。(問1から問4まですべてで400字以内)

主権在民、平民主義、基本的人権の尊重を基本原則とした日本国憲法が1946年11月3日に公布された。この憲法の理念と目的を実現するうえでの教育の役割が示されたのが教育基本法である(1947年制定。2006年に改正)。それは、(1)これまでの教育勅語(教育ニ関スル勅語)を中心とした教育への強い反省の下に作られたが、なかでも(2)教育が国民を戦争へと導いたとする反省が大きかった。この教育勅語がいかに大きな影響力を与えてきたかについては、教育基本法が制定された翌年、1948年に衆参両院でそれぞれ教育勅語に対する排除並びに失効の決議が行われたことからもうかがえる。こうした戦前の教育の反省のうえに、戦後の教育は、(3)教育の民主化という理念のもとで徹底した制度改革を通して築かれていくことになる

問1 下線部(1)の教育勅語を中心とした教育は強制力を伴いながら定着がはかられるが、それを代表する事件をあげてその内容を説明しなさい。
問2 下線部(2)にいう戦争とは直接的にはアジア・太平洋戦争であるが、この戦争に人々を駆り立てるうえで教育の果たした役割は大きかった。日中戦争以降の戦時体制の下で思想統制を担った教育施策について具体的に説明しなさい。
問3 下線部(2)に関わって、戦時下の朝鮮や台湾での皇民化政策について簡潔に説明しなさい。
問4 下線部(3)の教育の民主化に基づく改革について、具体的に説明しなさい。


<考え方>
問1 「教育勅語が持つ強制力」である。これは山川のP.289の教育勅語の項目に次のようにある。
「1891年、キリスト教徒の内村鑑三は、講師をつとめる第一高等学校での教育勅語奉読式の際、天皇の署名のある教育勅語への拝礼を拒否したために教壇を追われた(内村鑑三不敬事件)。」

 これを要約すればよいと思う。(普通の受験生は「講師をつとめる第一高等学校での教育勅語奉読式の際」の部分は覚えていないと思う。現役生なら、「キリスト教徒の内村鑑三が、教育勅語への拝礼を拒否したために教壇を追われた。」がいいところであろう。)

問2 問われているのは、
(1)日中戦争以降の戦時体制下で
(2)思想統制を担った
(3)教育施策

である。教科書から関係している部分を抜き出すと
P.337に「1941年には小学校が国民学校に改められ、「忠君愛国」の国家主義的教育が推進された。」

 悩んだのは教科書のP.333の脚注にある『国体の本義』である。「文部省は『国体の本義』を発行し、全国の学校・官庁に配布して、国民思想の教化をはかった。」とある。
 ぼくは問題を見た瞬間、「国民学校と国体の本義だ!」と思った。しかし、教科書にもあるとおり『国体の本義』は「日中戦争開始直前」であり、問われているのは日中戦争以降である。
 また、「人民戦線事件」などの政府批判の思想弾圧や国民精神総動員運動も考えたが、教育施策ではないと思われる。学徒動員については思想統制を担ったの部分がひっかかる。山川の教科書ではここまでかと思う。

 ちなみに実教の教科書ではP.351に「記紀をもとに、日本を「万邦無比の神国」とし、天皇統治の正当性と永遠性を主張する皇国史観にもとずく歴史教育がなされた。・・・小学校は「皇国ノ道」にもとづく錬成を目的とする国民学校へ改められた。」とある。

問3 これはどの教科書にもしっかり載っている。
@日本語教育の徹底
A朝鮮では姓名を日本風に改める創氏改名
B天皇崇拝・神社参拝の強制

問4 実はここまでで、まだ133文字である。問4で残り270字近くを稼がなくてはならない。基本事項の羅列でもかなり苦しいが何とか可能だと考える。山川のP.351より

「GHQは1945年、教科書の不適切な記述の削除と軍国主義教育的な教員の追放(教職追放)を指示し、つづいて修身・日本歴史・地理の授業が一時禁止された。ついでアメリカ教育使節団の勧告により、1947年教育の機会均等や男女共学の原則をうたった教育基本法が制定され、義務教育が6年から9年に延長された。同時に制定された学校教育法により、4月から六・三・三・四の新学制が発足した。大学も大はばに増設されて大衆化し、女子大学生も増加した。1948年には、都道府県・市町村ごとに、公選による教育委員会が設けられ、教育行政の地方分権化がはかられた。」
そして脚注に
「文部省は従来の国定教科書から内容を一新した『くにのあゆみ』『あたらしい憲法のはなし』などを刊行した。国定歴史教科書の最後となった『くにのあゆみ』は、建国神話からではなく、考古学的記述からはじめられていたが、1947年から新学制による社会科となったので、使用されなくなった。」

 しかし、せこく年代をいれて字数を稼いでもまだ足りない。そこで、改革とは「従来の○○を□□に改めた。」と書くのが原則であることを利用して、当たり前の枕詞を足す。たとえば、地方分権化の前に「戦前の文部省による中央集権的な体制を改め」を入れたり、最初に「自由主義的改革として」を入れたりするのである。

 かくして、問1=47字、問2=36字、問3=50字、そして問4=267字という、「全部で400字」という答案ができあがることになる。


<野澤の解答例>
1内村鑑三不敬事件。キリスト教徒の内村鑑三が、教育勅語への拝礼を拒否したために教壇を追われた。2小学校が国民学校に改められ、「忠君愛国」の国家主義的教育が推進された。3日本語教育の徹底や天皇崇拝・神社参拝が強要され、朝鮮では姓名を日本風に改める創氏改名が強制された。4自由主義的改革のため、GHQの指示により教科書の不適切な記述の削除と軍国主義教育的な教員の追放が行われ、つづいて修身・日本歴史・地理の授業が一時禁止された。1947年には教育の機会均等や男女共学の原則をうたった教育基本法が制定され、義務教育が6年から9年に延長された。同時に制定された学校教育法により、六・三・三・四の新学制が発足した。また1948年には文部省による中央集権的な体制を改め、都道府県・市町村ごとに、公選による教育委員会が設けられ、教育行政の地方分権化がはかられた。さらに国定教科書制度が廃止され、社会科が設置された。
 (400字)


参考:駿台予備校の模範解答

参考:河合塾の模範解答

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2010.3.17