2009年度 『一橋大学 その2』  
                                           

【U】次の文章を読んで下記の問いに答えなさい。(問1から問4まですべてで400字以内)

 第二次農地改革によって解体された寄生地主制は、(1)経済的には、1872(明治5)年の田畑永代売買の解禁、翌年の地租改正条例による地租改正事業、さらに松方財政下のデフレーションの過程で形成された。また(2)政治的には、「地方ノ名望アル者」による地方自治をめざした1888(明治21)年の市制・町村制と1890年の府県制・郡制、帝国議会の開設で、明治憲法体制の一翼を担うこととなった
 その後、1920年代に入ると、(3)小作農民の運動が各地に起こり、全国組織も成立して、寄生地主制の後退が始まった。さらに昭和恐慌期になると小作争議も深刻化し、戦時経済統制が進むと小作料統制令などで衰退が一段と進んだ。

問1 第二次農地改革では、小作料と地主の所有地についてどのような措置がとられたか、またその結果、どのような変化が生じたかを具体的に説明しなさい。
問2 下線部(1)について、田畑永代売買の解禁から地租改正を経て松方財政下のデフレーションまでの過程で、どのようにして寄生地主制が形成されたかを、土地所有制度と課税制度の変化に着目しながら説明しなさい。
問3 下線部(2)の「明治憲法体制の一翼を担うことになった」について、町村制と帝国議会衆議院を例にとり、具体的に説明しなさい。
問4 下線部(3)について、この時期の小作農民の運動が掲げた要求を2つ書きなさい。また、全国組織の名称を書きなさい。

<考え方>
問1の農地改革は、受験日本史の3大土地改革(太閤検地・地租改正・農地改革)の1つでもあり、ぼくのHPでも財閥解体とならんで重要ポイントとして取り上げている。しっかり書きたい。
 問われているのは、
@
小作料に対する措置
A
地主の所有地に対する措置
Bその結果としての
変化
である。変化というのは、「
従来の○○が□□になった」というのを変化という。影響ではないことに注意!

 山川のP.350には「不在地主の全貸付地、存村地主の貸付地のうち一定面積(都府県平均1町歩、北海道では4町歩)を超える分は、国が強制的に買い上げて小作人に優先的に安く売り渡した。その結果、全農地の半分近くを占めていた小作地が1割程度にまで減少し、農家の大半が1町歩未満の零細な自作農となった一方、大地主たちは従来の大きな経済力と社会的威信をいっきょに失った。」「残った小作地についても、小作料は公定の定額金納とされた。」とある。
 これを要約すればよい。

問2も教科書の要約で書ける、といいたいが、やや疑問が残る設問である。
 問われているのは、
@田畑永代売買の解禁から地租改正を経て
松方財政下のデフレーションまでで、
A
寄生地主制の形成過程
B
土地所有制度と課税制度の変化を踏まえて
書くことである。

 山川の教科書P.243には「田畑永代売買の禁令を解き、地券を発行して土地の所有者をはっきりと認めた。地券は原則として従来の年貢負担者(地主・自作農)に交付され、年貢を受け取る知行権を内容とする封建的領有制は解体した。」「課税の基準を不安定な収穫高から一定した地価に変更し、物納を金納に改めた。」「地主・自作農の土地所有権が確立した。」
 P.257「きびしい緊縮・デフレ政策のため米・繭など物価の下落は著しく、深刻な不況は全国におよんだ。しかも増税に加えて地租は定額金納であったので農民の負担は著しく重くなり、自作農が土地を手放して小作農に転落した。地主は所有地の一部を耕作するほかは、小作人に貸し付けて高率の現物小作料をとり立て、貸金のかたに土地を集中していった。」

 ここまではよい。しかし、

 教科書のP.282には、「1880年代の松方財政でのデフレ政策によって上昇しはじめていた小作地率は、1890年代も上昇を続け、下層農民が小作へと転落する一方、大地主が耕作から離れて小作料の収入に依存する寄生地主となる動きが進んだ。(寄生地主制)」とある。つまり松方デフレ下では地主はまだ所有地の耕作をしており、
寄生地主制の形成は松方デフレ後の1890年代だと書かれている。これは実教の教科書も同じである。三省堂の教科書でも松方デフレ下は「地主による土地の集中」としか書かれていない。
 その一方で
桐原東京書籍の教科書は、松方デフレ下で「寄生地主も増えていった。(寄生地主制拡大)」とある。

 まず間違いなく一橋大学の出題者は、「松方デフレで寄生地主制の形成」と書かせたかったと考えられる。しかし教科書によって解釈が分かれているところを出題するのは如何かと、ぼくは思う。が、ここは出題者の意図に従って、これを要約すればいい。

問3は、
問題文中に主語がない!(笑)
 何が「明治憲法体制の一翼を担うことになった」のか?リード文から考えて、寄生地主たちだよね。つまり「寄生地主たちが明治憲法体制の一翼を担うことになったことについて、町村制と帝国議会衆議院を例に」、具体的に説明せよというのである。
 山川の教科書には衆議院議員選挙について「直接国税15円以上の納税者に限られたから、有権者は中農以上の農民か都市の上層民だけ」、町村制については「地域の有職者をにない手とする地方自治制が制度的に確立した」と記されているだけである。

 ここから何とかしなくてはならない。しかも具体的に。え〜!である。ぼくは受験生ではないので、自宅で問題を見て思わず笑ってしまったが、試験会場でこれを見たら固まるか血の気が引くんじゃないか。
 ここで一橋大の「
全部で400字」を利用する。つまりお茶を濁して逃げるのである。主語は「地主=高額納税者」であるので、
「高額納税者であった地主が、制限選挙のもと政治に参加した。」(27字)で終わりにする。

 なおこれについては、実教の教科書には「自治体の地方議会では、納税額が多い地主などの富裕者に有利な選挙制度によって、地方有力者が優位をしめた。」、桐原の教科書には「地方議会は制限選挙や間接選挙によって選ばれた議員で構成され、おもに地方の大地主や資産家によって占められた。」と記されている。つまりこれで間違いではない。

問4の全国組織の名前はできなくてはならない。日本農民組合である。しかし「運動がかかげた要求」は、山川の教科書は「小作料の減免」しか書かれていない。ところが2つ書けとある。三省堂も東京書籍も「小作料の引き下げ(減額)」のみ、実教と桐原の教科書には、具体的な要求は記されていない。唯一、山川の『日本史用語集』に「小作料減免・小作権確認」と記されている。
 問2からもうかがえるが、一橋大の日本史出題者は、高校日本史の教科書をきちんと読まずに問題を作成していると思われ、2つめの要求はGive upでよい。

 これを400字以内にまとめる。

<野澤の解答例>
1小作料は公定の定額金納とされ、不在地主の全貸付地、存村地主の貸付地のうち一定面積を超える分は、国が強制的に買い上げて小作人に優先的に安く売り渡した。その結果、農家の大半が零細な自作農となった一方、大地主たちは大きな経済力と社会的威信を一挙に失った。2田畑永代売買の禁令の解禁から地租改正によって、従来の年貢負担者であった地主・自作農の土地所有権が確立し、封建的領有制は解体した。課税の基準は収穫高から地価に変更され、物納から金納に改められたため、農家は物価の変動の影響を大きく受けるようになった。松方財政下の増税と、デフレ政策によって米などの物価が下落したのに対し、地租は定額金納であったため農民の負担は重くなり、自作農が土地を手放して小作農に転落する反面、地主は土地を集中し、寄生地主制が形成された。3高額納税者であった地主が、制限選挙のもと政治に参加した。4日本農民組合。小作料減免(・小作権確認)
(「小作権確認」を入れて400字)


参考:駿台予備校の模範解答

参考:河合塾の模範解答

2010.3.7

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