2006年度 『一橋大学 その3』  
                                           

【V】次の4つの文章を読んで下記の問いに答えなさい。 (問1から問4まですべてで400字以内)
A 1939年、政府は重要時局産業に必要な労働力を確保するために、労働力の計画的な需給を図ることになり、39年7月以降労務動員計画(1942年度以降は国民動員計画)の策定をみることとなった。この労務(国民)動員計画は、企画院を中心にその基本方針ならびに需給数が決定され、これにもとづき厚生省において具体的な供給源別供給数の決定がおこなわれた。こうして小学校(国民学校)・中学校卒業生や中小商工業者など、国民諸階層から労働力動員が遂行された。
B 戦争末期の1944年になると、労働力不足はますます深刻化し、航空機関係工場や陸海軍の諸工場など、もっとも緊急を要する工場へ国民が集中的に動員されることになった。
C 今や我国家は、その歴史的成長のために、国民に如何に行動すべきかを明らかに示して、これに必要な国民の能力と資質の外に、その性格の形成せられることを要請しているのである。・・・(中略)・・・職業内(工場労働)において国家が(個々人に対して)国民的性格を育てあげることが職業の重要任務である。それ故に職業各部門の指導者達(経営者達)は、心理学者であると同時に教育家でなければならない。(桐原葆美『戦時労務管理』1942年、61頁)、桐原は労働科学研究所所員。
D 一国の国力は、其の国を構成する民族の強弱によって決定する。強い民族の力、それは其の民族の優秀なる質と強大なる増殖力を以って計られる。・・・(中略)・・・体質と体格とを含めた立派な肉体と、知能と精神とを含めた優れた能力とを、兼ね備へた優秀な民族が、旺盛なる勢ひをもって其の人口を増殖しつつある時、その民族が構成する国の力は、兵力に於いても、生産力に於いても、また、文化の力に於いても、盤石の重きにある。(牧賢一『勤労母性保護』1943年、67〜68ページ)、牧は大政翼賛会厚生部幹部。

問1 Aの労務(国民)動員計画において、1942年以降、動員数が意識的に少なくされた国民階層(職業)は何か。またその理由について述べなさい。
問2 Bの下線部「国民」とは具体的にどのような人々をさすか。また、それらの国民を急速に動員させることとなった法令(勅令)を1つ挙げなさい
問3 Cの文章は、アジア太平洋戦争期の日本を、単に戦時体制と呼ぶだけでは不十分なことをものがたっている。ここから読みとれる日本の戦時体制の特質をCの下線部分に留意しつつ述べなさい。
問4 Dの文章は日本の民族について述べたものである。アジア太平洋戦争の性格と内容を、この「日本民族観」と関連させて述べなさい。

<考え方>
 全体を通して問われているのが、太平洋戦争時なのは明白である。問1から問4の中で、問4だけはオーソドックスな問題であり、かなり書けるのではないか。対して問1〜問3は、受験生がきちんと学習してきた知識や理解力を問うと言うよりも、出題者の意図を推し量る力が問われる問題と言ってよく、悪問だとぼくは思う。(これについては、あとで参考にあげる駿台予備校も「不適切な問題」と分析している。)
 そのため、受験生は取れる部分を確実に得点に結び付けるため、問4を中心に解答を組み立て、問1〜問3は「お茶を濁す」形にならざるを得ないのではないだろうか。

問1.Aの資料の重要時局産業は、軍需産業だと判断できて欲しい。つまり問われているのは、1942年以降、軍需産業への動員が意図的に減らされた職種は何かということである。
 これについては教科書(山川の詳説日本史)に、「農村では、1940(昭和15)年から政府による米の強制的買い上げ制度(供出制)が実施された。政府は生産奨励のために小作料の制限や生産者米価の優遇などの措置をとり、地主の取り分を縮小されたが、それでも労働力や生産資材の不足のために、食糧生産は1939(昭和14)年を境に低下しはじめ、食糧難が深刻になっていった。」ともあるように、戦時中食糧難で米は農村から供出制、国民へは配給制になったことは基本中の基本である。(砂糖やマッチなどの切符制と間違わないように)
 このことから、意図的に動員を減らされたのは農家、正確には小作人を含む農業従事者だと推測できる。理由は、「労働力や生産資源の不足のため、深刻な食糧難となったことから、農業生産力を維持するため」である。
問2.教科書(山川の詳説日本史)には「1943(昭和18)年には、大学・高等学校及び専門学校に在学中の徴兵適齢文科学生を軍に招集(学徒出陣)する一方、学校に残る学生・生徒や女子挺身隊に編成した女性を軍需工場で働かせた(勤労動員)。また、数十万人の朝鮮人や占領地域の数万人の中国人を日本本土などに強制連行し、鉱山や土木工場現場などで働かせた。」とある。(『近代編後期9 太平洋戦争』参照)
 設問は「航空機関係工場や陸海軍の諸工場など、もっとも緊急を要する工場へ」動員されたのはどういう国民か、なので、学校に残る学生・生徒や女子挺身隊に編成した女性が答となろう。基づく法令(勅令)としなるのは、「1938年の国家総動員法に基づいて1939年に制定された国民徴用令」だが、問は「1つ挙げなさい」なので、国民徴用令だとぼくは思う。(字数を稼ぐためなら「国家総動員法に基づいて1939年に制定された国民徴用令」と書く手もある。)
 ところがここで、釈然としないのは資料Bでわざわざ1944年と断っているところである。そうなると法令(勅令)は、学徒勤労令、女子挺身勤労令(ともに1944年)となる。しかし、これらは教科書には記載されておらず、さらに設問は「法令(勅令)を1つ挙げなさい」なので、学徒勤労動員か女子挺身隊かのいずれかとなる。もしこれを解答として要求しているのであれば、天下の悪問と言うほかなく、そんな問題はできなくてよい。
問3.要は「職場の指導者は、国民が心から進んで戦争遂行に協力するよう指導しろ」と言っているわけだから、「労資一体で国策に協力する産業報国会が結成された」ことを答えさせたいのだと判断できる。
 山川の教科書でいうと、
(1)「節約・貯蓄など国民の戦争協力をうながすため国民精神総動員運動を展開した。総力戦の遂行に向けて労働者を全面的に動員するために、労資一体で国策に協力する産業報国会の結成も進められた。」
(2)「1938年、資本家団体や労働組合幹部を集めて産業報国連盟が結成される一方、警察の指導で各職場ごとに労資一体の産業報国会を組織し、既存の労働組合も一部これに改組させられた。1940年、連盟が大日本産業報国会となり、すべての労働組合が解散させられた

いう部分である。
 しかし、非常時に言論統制・思想統制をして、スローガンで国民を煽って戦争遂行に協力させようとするのは、当時の日本に限ったことではない。現代でもイラク戦争にあたってアメリカが情報操作をしていたことは周知の事実である。これが「日本の戦時体制の特質」と呼べるかは疑問である。
 そうなると日本のオリジナルと呼べるものは何か。教科書には先述の(1)の前に次のように記してある。
(3)「国体論にもとづく思想統制、社会主義・自由主義の思想に対する弾圧がいちだんときびしくなった。・・・国家主義・軍国主義を鼓吹し、」
 「国体論」とは「記紀神話にもとづいて国体(天皇制)の尊厳や天皇への絶対的服従を説くもの」であり、間違いなく日本の特質である。
 だがこれが鍵だとすると、もう駆け引きのレベルであり、受験生がするべき学習をしてきたか否かを問うものとは言えない。これまた出題者に意図を聞いてみたい問題である。
問4.これはオーソドックスな問題であり、きっちり書きたい。ポイントを整理すると
(1)戦後の「天皇の人間宣言」にも見られるように、「日本民族を世界無比の優秀な民族と観念」し、そのもとにアジアをまとめようとしたため、「多くの占領地で軍政が敷かれ、日本語使用の強制や神社参拝の強要などの皇民化政策が進められた」こと。
(2)12月8日の「宣戦の詔勅」で、「英米両国は中国に介入して、日本の東アジアの安定への努力をふみにじったばかりか、経済断行を通じて日本の存在そのものを脅かしたので、日本は自存自衛のために戦争に訴えたのだ」と説明しているように、「
欧米による植民地支配・搾取からアジアを解放するという「大東亜共栄圏」の構築をスローガンに掲げ、地域の代表者を東京に集めて、大東亜会議が開かれた」こと。
 この2つをまとめればよい。

<野澤の解答例>
1農家。労働力や生産資源の不足のため、深刻な食糧難となったことから、農業生産力を維持するため。(46字)
2学校に残る学生・生徒や女子挺身隊に編成した女性。国民徴用令。(30字)
3記紀神話に基づいて天皇への絶対的服従を説く「国体論」から思想統制が行われ、社会主義・自由主義に対する弾圧が厳しくなる中、国民の戦争協力をうながすために国民精神総動員運動が展開された。労働者を全面的に動員するために、労資一体で国策に協力する産業報国会の結成が進められ、すべての労働組合が解散させられた。(150字)
4欧米による植民地支配や搾取から、アジアを解放するという「大東亜共栄圏」の構築をスローガンに掲げ、地域の代表者を東京に集めて大東亜会議を開いたりしたが、一方で日本民族を世界無比の優秀な民族と観念し、そのもとにアジアをまとめようとする性格を持っていた。そのため多くの占領地では軍政が敷かれ、日本語使用の強制や神社参拝の強要などの皇民化政策が進められた。(174字)(総計400字)

参考:駿台予備校の模範解答
1農業従事者。1942年に交付された農業生産統制令により農工間の所得格差から農業外に流出の続いていた農業従事者を農業内部にとどめ、農業生産を確保するため。
2兵役についた者をのぞく男子、未婚の女子に加え、朝鮮・中国から強制連行された人々。法令としては国家総動員法に基づいて1939年に制定された国民徴用令があり、朝鮮でも同趣旨の勅令が制定された。
3日中戦争勃発後、協議会や官僚主導のもと、産業報国運動が進められたが、その特徴は、労働者から自発的な戦争協力を引き出すため、「労使一体」を掲げて階級闘争を抑制し、労働組合に解散を強制していくものだった。
4日本民族こそ世界無比の優秀な民族であり、その指導の下に「八紘一宇」を実現し、アジア諸民族の解放を目標とする大東亜共栄圏の構築を主張した。そのため大東亜戦争を命名され、1943年には大東亜会議も開催された。しかし、その実態はアジア諸民族からの略奪を正当化するものに過ぎなかった。(400字)


2006.12.21

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