2014年度 『大阪大学 その1』

古墳の被葬者の性格の変化


(T) 古墳時代は大きく、前期(3世紀後半〜4世紀後半)、中期(4世紀末〜5世紀)、後期(6世紀〜7世紀)の3時期に区分できる。前期から後期にいたる間に、被葬者の性格にどのような変化が認められるか、具体的根拠をあげつつ述べなさい(200字程度)。

<考え方>
 
求められていることは

(1) 古墳の被葬者の性格の変化について書く
(2) 前期・中期・後期の変化を書く
(3) 具体的根拠をあげて書く


である。

 これは、もう頻出の内容である。あまりにポピュラー過ぎて、何かあるのではないかと勘ぐりたくなるが、受験生は基本通りの答案をしっかり書きたい。
 流れとしては、「前期=呪術的な副葬品=司祭者的君主→中期=武具・馬具=軍事的君主→後期=群集墳・日用品=有力農民も古墳をつくれるようになった」
である。
 求められているのは、具体的根拠なので、副葬品だけにとらわれなくてよい。

 それでは、実教の教科書『日本史B』のP.49〜51から該当するところを抜き出す。

(1) 3世紀後半ころに出現した古墳は、大和政権の政治連合に参加した首長や有力層の墳墓であった。
(2) 副葬品のなかには銅鏡などの宗教的な宝器を含むことから、この時期の古墳の被葬者が司祭者的な性格をもっていたことがわかる。
(3) 5世紀になると(略)副葬品には、銅鏡や碧玉製品が少なくなるいっぽうで、鉄製の甲冑、刀剣などがいちじるしく増えることから、首長の軍事的リーダーとしての性格が強まったと考えられる。
(4) 5世紀後半ごろから各地で小古墳の築造が増えはじめていたが、6世紀になるとその動きはいっきに加速した。小古墳の多くは一辺10m前後の円墳や方墳で、10数基から100基程度のまとまりをもって群集するため群集墳とよばれている。
(5) 群集墳が営まれた背景には、農業生産力の発展によって台頭してきた有力農民層にも古墳づくりの特権を認めることによって、彼らを支配組織のなかに組み込もうとした大和政権の政策たあったと考えられる。
(6) 石室や横穴のなかには武器や馬具のほか、須恵器や土師器など日常の飲食器もおさめられている。

以上を200字程度でまとめる。

 
<野澤の解答例>
古墳は本来、大和政権に参加した首長たちの墳墓であった。前期の副葬品の中には銅鏡などの宗教的な宝器を含むことから、被葬者が司祭者的な性格をもっていたことがわかる。中期の副葬品は、銅鏡などが減少し、鉄製の甲冑、刀剣などが増えることから、被葬者の軍事的リーダーとしての性格が強まったと考えられる。後期には各地で小古墳が急増し、須恵器などの日常品も副葬されている。これは台頭してきた有力農民層も被葬者となったことを表している。(209字)
 

2014.9.21

 
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