2013年度 『大阪大学 その2』

鎌倉時代の農業の発展


(U) 鎌倉時代の農業は、農業技術の発達に支えられ、耕地の拡大だけでなく、単位面積あたりの収穫増をめざす集約化に向かった。この時代の農業の発展について、具体的に述べなさい(200字程度)。

<考え方>
 問われていることは

(1) 鎌倉時代の農業の発展について書く
(2) 農業技術の発展について触れる
(3) 単位面積あたりの収穫増をめざす集約化について触れる
 
そして、
(4) 「耕地の拡大」は問題文にあるので、書くならばプラスα(要因など)が必要となる

である。実教の教科書『日本史B』のP.118には、次のように記されている。

 平安時代末から顕著になる農業の集約化は、鎌倉時代にはよりすすんだ。名主・百姓による小規模な開墾が積み重ねられ、牛馬耕もひろがっていった。また刈った草を田畠に敷きこみ、腐敗させて肥料とする刈敷や、草木を焼いて灰にした草木灰が肥料としてひろく用いられるようになり、麦を裏作とする二毛作も畿内から西日本にかけてじょじょに広がりをみせた。水耕耕作のほか、各地の自然的条件にあわせて、桑(絹・綿)・苧(布)をはじめ、荏胡麻(灯油)・藍(染料)・楮(紙)・漆などの原料作物の栽培加工がおこなわれ、着実にのびていった。

 これをそのまま要約したのでよいと思ったが、あれ!大唐米がない。
 山川の『詳説日本史』では、鎌倉時代の産業の脚注に「この時期には多収穫米である大唐米も輸入され、」と書かれている大唐米は、実教では室町時代の項で、「また大唐米という多収穫の輸入品種が普及して安定した農業経営がひろくおこなわれるようになった。」と記されている。これは、三省堂も同じ。さらに、山川は『日本史B用語集』でも室町時代の項目として取り上げられている。
 一方、山川は『新日本史』でも、鎌倉時代の産業の部分で「大唐米という悪条件での栽培に強い米の品種が西日本を中心に作付けされるようになり」と本文中に記している。つまり、山川の教科書では、大唐米を鎌倉時代の農業の事項として扱っているが、それは決して多数派ではないのである。
 ここは、実教の教科書で書くというこのページの原則にしたがって、大唐米抜きで解答例を作成することにした。

 ところがである。

 実教の教科書の全文をそのまま写しても250字程度である。歴史用語の説明や細かい具体例を省略すると、次のようになる。

 名主・百姓による小規模な開墾が積み重ねられ、牛馬耕も広がった。刈敷や草木灰が肥料として広く用いられ、麦を裏作とする二毛作も畿内から西日本にかけて広がりをみせた。水耕耕作のほか、各地の自然的条件にあわせて、荏胡麻などの原料作物の栽培加工が行われて着実にのびていくなど、農業の集約化が進んだ。(144字)

 これでは少なすぎる。しかし、原則を破って大唐米に関する「多収穫米である大唐米も輸入され、安定した農業経営ができるようになった。」を加えても、179字である。

 何年か前の一橋大学の問題のように、教科書の記述を端的にまとめると、指示された字数に満たないという事態となった。

 「論述問題では、歴史用語は用いるものであって、説明は不必要」だと考えてはいるが、こうなったら仕方がない。開き直って、受験生が容易に記すことができる用語説明を加えて、実教の鎌倉時代の農業に関する記述だけで解答例を作成した。


<野澤の解答例>
名主・百姓による小規模な開墾が積み重ねられ、牛馬耕も広がっていった。また刈った草を田畠に敷きこむ刈敷や、草木を焼いて灰にした草木灰が肥料として広く用いられるようになり、麦を裏作とする二毛作も畿内から西日本にかけて広がりをみせた。水耕耕作のほか、各地の自然的条件にあわせて、灯油の原料となる荏胡麻や染料の藍、和紙となる漆などの原料作物の栽培加工が行われて着実にのびていくなど、農業の集約化が進んだ。(198字)

2013.3.18

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