2013年度 『大阪大学 その1』

平城京の概要


(T)平城京は、およそ10万人が住む政治都市であったといわれる。平城京はどのように区画され、いかなる施設が配置されていたのか、その概要を述べなさい(200字程度)。

<考え方>
 
問われていることは

(1)平城京について書く
(2)区画について書く

(3)施設について書く

である。

 これは、実教の教科書『日本史B』のP.66〜67に「平城京」という10行のトピックがあって、それとその上にある4行の文を、そのまま要約すればよい。(山川の『詳説日本史』でもP.38〜39でまとめられている。)

(1) 大宝律令の施行によって中央集権の政治が整ってくると、それにふさわしい大規模な都が必要となり、唐の都長安にならって、壮大な平城京を営んだ。
(2) 都の中心を南北に走る朱雀大路で左京・右京にわかれ、東西・南北に規則正しく通じる道路で碁盤目状に区画された(条坊制)。
(3) 中央北部に宮城(大内裏)があり、そのなかに天皇の住居を中心とする内裏や、政治の中心である朝堂院や諸官庁などがあった。
(4) 京内は、おもに王族・貴族や官人たちの居住区域であった。
(5) 京内には東市・西市がおかれ、各地の産物が取引された。
(6) 薬師寺・大安寺など、藤原京や飛鳥地方にあったおもな寺院は、平城京に移された。

以上を200字程度でまとめる。
 
<野澤の解答例>
中央集権制の整備による大規模な都城の必要から、平城京が造営された。中心を南北に走る朱雀大路で左京・右京にわかれ、条坊制によって東西・南北に規則正しく区画された。中央北部には大内裏をおき、天皇の住居を中心とする内裏や政治の中心である朝堂院や諸官庁などを設けた。京内は主に王族・貴族や官人たちの居住区域であり、薬師寺などの大寺院が藤原京や飛鳥から移された。また東市・西市がおかれ、各地の産物が取引された。(200字)
 

2013.3.18
 
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