2012年度 『大阪大学 その4』

明治政府の官営事業の展開


(Ⅳ)明治維新後、新政府が行った殖産興業政策において、官営事業は重要な役割を果たした。新政府成立直後から松方財政期までの官営事業の展開について述べなさい。(200字程度)

<考え方>
問われていることは

(1) 官営事業の展開について書く
(2) 官営事業が果たした役割に触れて書く
(3) 新政府成立直後から松方財政期までを書く


である。
 (2)の「官営事業が果たした役割に触れて」は意外に思った人もいたかもしれないが、問題文に「官営事業は重要な役割を果たした」という一文があることからも、不可欠である(というより触れなさいねと言ってくれている。)

 それでは、関係する箇所を実教の「日本史B」から抜き出してみる。

 まずは、P.258~P.259に官営事業がそのまま書かれている。
(1) 当時の民間工業は一部にマニュファクチュア経営がある程度で、欧米諸国にくらべ大きくおくれていた。政府は、官営模範工場を設立し、先進技術を導入することで欧米に追いつこうとした。
(2)輸出増大のため製糸業の機械化をめざした富岡製糸場(群馬県)、毛織物振興のための千住製絨場や、品川硝子製造所、深川セメント製造所などがその代表である。
(3)また農業や牧畜の近代化のための、駒場農学校・三田育種場なども設立した。
(4)官営事業にはほかに幕府や藩からひくついだ事業があり、東京砲兵工廠・大阪砲兵工廠、横須賀・長崎の造船所などの軍事工場や三池炭鉱・高島炭鉱などの鉱山がそれにあたる。
(5)北海道開拓では、1869年に設置された開拓使が官営工場の設立や炭鉱開発・鉄道建設をおこなうとともに、アメリカ式大農場の移植をはかり、札幌農学校を開設した。また開拓と防衛を兼ねる屯田兵もおかれた。
(6)交通・通信機関については、1872年に新橋ー横浜間、1874年には大阪ー神戸間に官営鉄道が敷設され、その後、主要都市間に敷かれるようになった。
(7)1871年には飛脚にかわって官営の郵便事業が前島密の建議によりはじまった。
(8)殖産興業政策の中枢となったのは、最初は工部省で、1873年以降は内務省であった。政策をすすめる中で政府は特定の民間業者に手厚い保護を与えたが、彼らは政商とよばれた。
(9)先進技術の導入のため、お雇い外国人とよばれる欧米人を政府は雇用した。
 
 さらに松方財政下での官営事業については、P.271に次のように書かれている。
(10)(松方財政下で)政府は官営事業の赤字解消のため、軍事工場以外の官営工場や鉱山の民間払い下げをすすめた。三井・三菱などの政商は、払い下げ事業を核に財閥に成長していった。

 
 これを200字程度でまとめる。

 
<野澤の解答例>
 政府は官営事業による先進技術導入で、欧米に追いつこうとした。幕府や藩から軍事工場や鉱山などを引き継ぐとともに、模範工場や農業学校を設立し、鉄道の敷設、電信や郵便事業を始めた。北海道では開拓使のもと大農場経営を図った。事業の中枢は、最初は工部省のち内務省が担い、お雇い外国人を雇用した。しかし事業の赤字解消のため、松方財政下では軍事工場以外の民間払い下げが進められた。三井・三菱などの政商は、これを核として財閥に成長していった。(213字)


 ※留意事項
 官営事業は官営模範工場だけではない。気をつけなければ、「富岡製糸場」に飛びついて、模範工場の具体例を羅列してしまいそうになるが、大きな筋は、「先進技術導入のために、あらゆる産業分野において官営事業を行い、その導入役としてお雇い外国人を雇った。しかし松方財政下では、赤字解消と民間産業育成のために軍事工場以外の払い下げが行われ、それをもとに三井などの政商が財閥として成長することになった。」ことである。具体例を列挙していては、200字程度にはまとめられない。

 
 2012.2.29

 
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