2010年度 『大阪大学 その2』


【U】室町時代には商業や交通がたいへん盛んとなり、それにともなって貨幣の流通がすすんだ。この時代における金融業や貨幣経済の発展と、それに対する幕府の政策について具体的に述べなさい。(200字程度)

<考え方>
 問われているのは、室町時代の「金融業と貨幣経済の発展に対する幕府の対応」である。リード文に「商業や交通がさかんになり」とある部分にも注意したい。

 実教の教科書のP.137から

(1)全国的な商取引と金融活動の頂点にたつ京都の酒屋・土倉に目をつけ、巨額の酒屋役・土倉役を課した
(2)複数の京都の有力土倉に委託して、将軍家の財産の管理や金銭などの出納を行わせた
(3)京都のおもな出入口に関所を設けて関銭を徴収した

 教科書P.144〜145から

(4)交通の発達と物資のさかんな運搬は港や関所からの津料・関銭などの関税収入の増加をもたらした。京都の出入口をはじめ、琵琶湖や淀川の沿岸はとりわけ関所の数が多かった。
(5)遠隔地取引には為替の使用が一般化し、京都・奈良などでは酒屋・土倉などの金融業者が目立った。
(6)商品流通の発展は、貨幣の需要を増大させ、日明貿易による永楽通宝など大量の明銭では追いつかず、のちには国内の私鋳銭も多くなり、良悪さまざまな貨幣が流通するようになった。そのため撰銭がおこなわれて流通界が混乱した。
(7)幕府はたびたび撰銭令を出して、粗悪貨幣の使用禁止を命じたり、各種貨幣の交換比率を決めたりして、商取引の円滑化をはかった。

 以上を200字程度でまとめたい。


<野澤の解答例>
 幕府は全国的な商取引と金融活動の頂点にたつ京都の金融業者である酒屋・土倉に巨額の課税をする一方で、有力土倉に将軍家の財産の管理・出納を行わせた。また交通の要所に関所を設けて関銭を徴収した。商品流通の発展は貨幣の需要を増大させ、貿易による明銭では追いつかず、私鋳銭も多くなった。そのため撰銭が行われて流通界が混乱した。これに対して幕府はたびたび撰銭令を出し、各種貨幣の交換比率を決めるなどして、商取引の円滑化をはかった。(209字)

2010.3.6

参考:駿台予備校の模範解答
室町時代には土倉・酒屋などによって高利貸業がさかんに行われた。幕府は京都の土倉・酒屋を統制下におき、営業税を賦課するとともに、有力な土倉に幕府財政の管理・出納にあたらせた。一方、貨幣の流通がすすむなか、年貢の代銭納が広まった。貨幣は、中国から流入した宋銭や明銭が使用されたが、次第に私鋳銭も増加したため、撰銭が横行した。それに対して、幕府はしばしば撰銭令を発して撰銭を規制し、取引の円滑化をはかった。(200字)

 
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