2010年度 『大阪大学 その1』


【T】平安時代になると、律令体制の再編成に向けて、さまざまな政策が打ち出された。嵯峨天皇の時代の官制改革・法的整備について、その後の影響も踏まえつつ述べなさい。(200字程度)

<考え方>
 嵯峨天皇の時代は基本的事項が多く、何を書いていいのかわからないということはないであろう。
 官制だと、蔵人頭、検非違使といった令外官、法的整備は「弘仁格式」である。しかし現役の受験生にとって「令義解」も嵯峨朝であったことまで気付くのは難しいか。
 要求されていることは、「その後の影響も踏まえつつ」述べることであり、この部分を表現できるかどうかが評価を分けると思う。
 
 実教の教科書のP.78から抜き出すと次のようになる。

(1)やったことは「腹心の藤原冬嗣を蔵人頭に任命して、天皇の命令をすみやかに太政官に伝えさせた。」
  その後の影響→「その役所である蔵人所は、天皇の秘書局として宮廷で重要な役割をはたすようになった。」
(2)やったこと→「京都の治安を維持するために検非違使がおかれた。」
(3)その後の影響→「これらの令外官は形式的な令の官制にかわり、政治や社会の実情に即して実質的な役割をはたした。」
(4)やったこと→「これまで多数出されてきた格や式を整理して弘仁格式を編纂した。」
   その後の影響→「これ以降、貞観格式、延喜格式が次々と編纂された。」
(5)やったこと→「『令義解』がつくられた。
   その後の影響→「養老令の解釈が統一された。」

 これを200字程度でまとめる。

<野澤の解答例>
 官制改革では、天皇の秘書官として蔵人頭を設けた。その役所である蔵人所は、宮廷で重要な役割をはたすようになった。また京都の治安維持のために検非違使をおいた。これらの令外官は形式的な令の官制にかわり、政治や社会の実情に即して実質的な役割をはたした。法的整備としては、多数出されてきた格や式を整理して弘仁格式を編纂した。これ以降、貞観・延喜格式が次々と編まれた。また『令義解』がつくられ、養老令の解釈の統一がはかられた。(207字)

2010.3.6

参考:駿台予備校の模範解答
嵯峨天皇時代には、官制面では、天皇の側近にあって詔・勅の伝達や訴訟などを取り次ぐ蔵人や京の治安維持などを職務とする検非違使が新設された。これらの令外官は、のちに強大な権限を集中させ、政治や社会の実情に即した実質的な役割を果たした。法制面では、弘仁格式が編纂され、膨大な分量の格と式の分類・整備が行われた。以後も貞観・延喜と格式の編纂が続き、養老令の条文解釈を公式に統一した『令義解』も編まれ、政治実務の便がはかられた。(209字)

 
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