2009年度 『大阪大学 その4』


【W】1920年代の日本では恐慌が相次いだ。その際に日本政府がとった対応策と、恐慌が日本経済に与えた影響について述べなさい。(200字程度)

<考え方>
 最初に注意しなくてはならない。戦前の恐慌というと昭和恐慌のインパクトが最も強い。しかし問われているのは、1920年代の恐慌である。昭和恐慌は1930年代であることを忘れてはならない。
 つまり、戦後恐慌(1920)→震災恐慌(1923)→金融恐慌(1927)の3つがテーマとなる。
 この3つの恐慌について
(1)その際、日本政府がとった対応策
(2)日本経済に与えた影響

を述べるのである。

 これは見事に実教の教科書のP.326〜327の1ページと6行にまとめられている。
 
(1)第一次世界大戦後、国際競争が復活すると、たちまち過剰生産恐慌(戦後恐慌)におちいった。
(2)関東大震災により日本経済は大きな打撃を受けた(震災恐慌)
(3)政府は日銀に巨額の特別融資をおこなわせて事態の切り抜けをはかったが、そのとき発生した震災手形のうち2億円あまりが決済されないまま市場に残り、銀行の経営を圧迫した。
(4)震災手形を多くかかえた銀行の経営悪化が表面化し金融恐慌がはじまり、多くの銀行が破綻に追い込まれた。
(5)政府はモラトリアム(支払い猶予令)を発令し、日銀非常貸出を行うことで事態を収拾した。
(6)事態の沈静後、預金が大銀行に集中し、五大銀行による金融支配が強まった。

 もう一つ気をつけなければならないのは、あくまで「恐慌に対する政府の対応と経済への影響」であって、政党や枢密院などの政治的動向は問われていない。つまり「台湾銀行救済勅令案を幣原協調外交に不満であった枢密院に拒否され、若槻内閣が退陣した」などのついつい書きたくなるような内容は、しっかりカットしなければ、とても200字程度に収まらない。

<野澤の解答例>
 過剰生産による戦後恐慌に続き、震災恐慌で日本経済は大打撃を受けた。政府は日銀に巨額の特別融資を行わせて救済を図ったが、かなりの震災手形が残り銀行の経営を圧迫した。未決済の手形を多くかかえた銀行の経営悪化が表面化して金融恐慌が起こり、多くの銀行が破綻に追い込まれた。政府はモラトリアムを発令し、日銀非常貸出を行うことで事態を収拾した。事態の沈静後、預金が大銀行に集中し、五大銀行による金融支配が強まった。(200字)

2010.3.5

参考:駿台予備校の模範解答
戦後恐慌に対する政府の企業救済融資の成果が上がらぬなか、震災恐慌で多額の震災手形を抱えた銀行に対し、政府は日銀の特別融資や手形再割引などの救済策をとった。しかし手形の整理は進まず、多くの銀行の経営が悪化して金融恐慌が起こると、政府は支払い猶予令の発令や日銀の非常貸出を通じて混乱を鎮めた。この結果、インフレの進行などにより不況が深刻化する一方、五大銀行に預金が集中するなど財閥による企業支配が強まった。(200字)

 正直言って駿台の模範解答のほうが抜けがない。完成度が高いと言える。模範解答の冒頭にある「戦後恐慌に対する政府の企業救済融資」や震災恐慌での「日銀の再割引」に関しては、三省堂の教科書(P.291)に記されている。また、金融恐慌後の「インフレ傾向の中で財閥による産業支配の進展」は山川の教科書(P.317)である。このあたりはさすが駿台といったところ。

 ぼくの解答例は、1つの教科書を使って普通の受験生が、その教科書の内容からまとめられる答案である。

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