2009年度 『大阪大学 その2』


【U】鎌倉時代は承久の乱の後、政治的な安定期を迎えた。北条泰時および北条時頼が行った政策をあげながら、その政治の特徴を述べなさい。(200字程度)

<考え方>
 問われているのは、
(1)承久の乱後、
(2)鎌倉幕府が安定期を迎えることになった理由を、
(3)泰時、時頼が行った政策を具体的にあげながら、
(4)その特徴、つまり「何を目的としてどのような効果があったか」

を述べることである。

 山川の教科書だとP.95〜96に書かれている内容をまとめればよい。

 ただ、阪大の日本史の先生方は実教の教科書の執筆者なので、ここでは実教の教科書のP.113〜115でまとめてみた。
 ポイントは次の4点である。
(1)幕府上層の合議による集団指導体制と共通する基準の作成=連署・評定衆・御成敗式目
(2)御家人の要望に応える=引付
(4)幕府の権威付け=皇族将軍
(5)北条氏権力の確立=宝治合戦

<野澤の解答例>
 北条泰時は連署と評定衆を設け、執権と有力御家人の合議による集団指導体制をとるとともに、頼朝以来の先例と武士社会の慣習・道徳を基に御成敗式目を制定して、政治・裁判の基準とした。北条時頼は裁判制度の整備につとめ、引付を設置して裁判を迅速に行い御家人の要望に応えた。また宗尊親王を皇族将軍として迎えて幕府の権威付けを行う一方で、宝治合戦で三浦氏を滅亡させ、北条氏の権力を確実なものとし、後の得宗専制への端緒を開いた。(204字)

2010.3.5

参考:駿台予備校の模範解答
北条泰時は連署・評定衆を設置し、執権を中心とする有力御家人の合議による集団指導体制をとるとともに、御成敗式目を制定して頼朝以来の先例と武家社会の道理にもとづく政務・裁判の基準を整え、執権政治を確立した。北条時頼は引付を設置して合議機構の整備を進め、御家人の支持をとりつけるとともに、皇族将軍を擁立して幕府の権威付けを図った。さらに宝治合戦などで北条氏の覇権を確立し、後の得宗専制につながる道を開いた。(200字)

 駿台の模範解答を見て、さすがと唸った。明らかに実教の教科書を踏まえて作成している。
 たとえば、山川の教科書には「合議制にもとづく政治」とはあっても「集団指導体制」という言葉はない。また、「北条氏の覇権」という言葉も実教の教科書のみに見られる表現である。さらに「得宗専制への」動きも実教のみであり、山川は「北条氏独裁の性格を強めていった」、三省堂は「北条氏による専制体制の性格が強まった」である。
 改めて「流石!」と感じた。


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