2006年度 『大阪大学 その4』  
   
                                          
【4】 韓国併合にいたる、近代の日朝(韓)関係の歴史について述べなさい。(250字程度)

<考え方>
 書くべきポイントを整理する。
@韓国併合にいたるまでの近代の日朝関係の歴史について書く。
A明治になってから、1910年の韓国併合までの内容を書く。
B250字程度で書く。(250字を越えても構わない!

→日朝交渉史は別館のテーマ史編の「日朝交渉史」を参照されたい。ここは明治以降なので、日朝交渉史(後)に記してある。
ア.明治政府成立後、朝鮮に開国を求めたが拒否された→征韓論争。
イ.江華島事件(1875)→日朝修好条規(不平等条約)を押しつけ開国させる。
ウ.壬午事変(1882)→親日派の閔氏(妃)が勝利するも、その後清に急接近
エ.甲申事変(1885)→金玉均らの親日クーデタ(閔氏排斥)失敗→朝鮮からの勢力後退
オ.防穀令事件(1889)=日本の経済進出に抵抗する朝鮮政府との対立激化
カ.甲午農民戦争→日清戦争=清国の影響を排除
キ.閔氏、三国干渉以後、親露反日→閔氏殺害→逆効果で親露政権誕生→勢力後退
ク.日露戦争勃発、日韓議定書→第二次日韓協約(韓国の外交権を奪い保護国化)→ハーグ密使事件→第三次日韓協約(内政権吸収、軍隊解散)→義兵運動→伊藤博文暗殺→韓国併合条約


この中からどれを使って250字にするかである。ポイントは「江華島事件を機に不平等な日朝修好条規で開国させ、ここから朝鮮の宗主国清国との対立・駆け引き、朝鮮内部の親日派・親清派の対立が始まった。壬午事変・甲申事変が起こったが、朝鮮でおこった甲午農民戦争を契機とする日清戦争に勝利して清国の影響力を排除した。ところが三国干渉以後、親露反日となった閔氏を殺害したことが裏目にでて、朝鮮では親露政権誕生し、日本は勢力を後退させることになった。しかし日露戦争を機に第2次日韓協約で外交権を奪って保護国とし、さらにハーグ密使事件を機に第3次日韓協約を結んで内政権を奪い、軍隊も解散させた。これに対して義兵運動などのレジスタンスが起こったが、1910年に伊藤博文が安重根に暗殺されたのを機に、韓国併合条約で併合した。」である。
 朝鮮の植民地化への意識は『近代編前期6 初期外交と条約改正』にも記したように第一議会の時、首相の山県有朋が、「国境=主権線、朝鮮=利益線」と述べたことからもうかがえる。これらを250字程度でまとめればよい。

<野澤の解答例>
明治政府は江華島事件を機に不平等な日朝修好条規を押しつけて朝鮮を開国させた。ここから宗主国清との緊張と朝鮮内部での対立が起こり、壬午事変・甲申事変に発展した。
日本は甲午農民戦争を契機とする日清戦争に勝利し、朝鮮から清の影響を排除することに成功したが、閔氏殺害で勢力は後退した。しかし日露戦争によって韓国権益の優先権を得ると、第二次日韓協約で外交権を奪って保護国とし、さらにハーグ密使事件などから内政権も吸収するとともに軍隊を解散させた。韓国では義兵運動等の抵抗があったが、伊藤博文暗殺を機に日本は韓国を併合した。(255字)

参考:駿台予備校の模範解答
 明治政府成立後、日本は朝鮮に開国を求めたが拒否され、江華島事件を機に不平等な日朝修好条規を強要して開国させた。しかし朝鮮国内の混乱や宗主国清の反発を招き、壬午軍乱・甲申事変を経て、日本は朝鮮から勢力を後退させた。その後、日本は甲午農民戦争を契機とする日清戦争に勝利し、朝鮮から清国の影響を排除したが、閔妃殺害によりかえって勢力を後退させた。しかし日露戦争の勝利により韓国権益の優先権を得て、第二次日韓協約で外交権を奪い保護国とした。それに対し、独立維持を訴えるハーグ密使事件や義兵運動がおきたが、伊藤博文暗殺を機に日本は韓国を併合した。(268字)

 
250字に削るのが大変だった。以前の教科書には、閔氏殺害は載っておらず、参考書や問題集で見るのみであった。しかし改訂された新版の教科書では、山川、桐原、三省堂、実教の全ての教科書の脚注で取り上げられている。こうなると少しは触れた方が無難ではないかと判断した。


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